●平成19(行ケ)10378審決取消請求事件「結晶性アジスロマイシン2水

 本日は、『平成19(行ケ)10378 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「結晶性アジスロマイシン2水和物及びその製法」平成20年06月30日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080701102729.pdf)について取上げます。


 本件は、被告を特許権者とする本件特許の請求項1に係る発明の特許につき無効審判請求をし,審判請求は成り立たないとする棄却審決の取消を求めた審決取消訴訟で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、本件特許発明が特許法29条1項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」の「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該「刊行物」に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要し、当該物が新規化学物質の場合には,その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する、と判示した点で参考になる事案かと思います。


 なお、本件特許の請求項1に係る発明は、「【請求項1】結晶性アジスロマイシン2水和物。」であります。


 つまり、知財高裁(第4部 裁判長裁判官 田中信義、裁判官 石原直樹、裁判官 杜下弘記)は、


1 取消事由1(新規性判断の方法の誤り)について

(1) 特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については,特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,まず,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることが必要であり,また,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該「刊行物」に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。


 そして,当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するという点は,「刊行物」に記載されている「物の発明」が,新規の化学物質の発明である場合と,公知の化学物質の発明である場合とを問わず,何ら変わりがない。


 ただ,それが公知の化学物質である場合には,先行技術文献の記載や技術常識等により,当該「刊行物」自体に当該化学物質の製造方法その他の入手方法が記載されていなくとも,当業者がその入手方法を理解し得ることが多いのに対し,新規の化学物質の場合には,一般に製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,当該「刊行物」にその技術的思想が開示されているというために,製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する場合が少なくないということができる。


 新規の化学物質と公知の化学物質とで,「刊行物」に記載されているというために必要な記載内容(特に製造方法の記載の要否)が異なるように説明されることがあるのは,この点に由来するものである。


 しかるところ,本件において,アジスロマイシンと称される物質自体は公知であったとしても,アジスロマイシン分子一つに対し,水分子二つが分子間力により特定の位置関係を保持し,2水和物という結晶構造を形成したものが,少なくとも,甲第2号証の頒布前に公知でなかったことは,被告はもとより,原告も争うものではないから,甲第2号証にアジスロマイシン2水和物が記載されているかどうかについての判断を,一般の公知の化学物質と同様に(すなわち,甲第2号証自体にアジスロマイシン2水和物の製造方法その他の入手方法が記載されていなくとも,当業者が,先行技術文献の記載や技術常識等により,その入手方法を理解し得るものとして)行うことができないことは明らかである。すなわち,アジスロマイシン2水和物は,かかる意味で,新規の化学物質として扱うことを要するものである。


 なお,原告の引用する東京高裁平成3年10月1日判決は,一対の光学異性体(光学的対掌体)から成るラセミ化合物(ラセミ体)である(R,S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールが引用例に開示されている場合に,同ラセミ体を形成する一対の光学異性体の一方である(S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールの発明が,同引用例に記載されているというべきであるとした審決の認定判断を是認したものであるが,ラセミ体については同発明に係る特許出願前から種々のラセミ分割(光学分割)の方法が行われていたことが当業者にとって技術常識であったという事態を踏まえた判断であるから,物の発明について特許法29条1項3号に当たるとするために,刊行物に当該物の製造方法が記載されている必要がおよそないとしたものということはできない。


(2) ところで,上記(1)のとおり,特許法29条1項3号所定の「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該発明の技術的思想が開示されていることを要するという以前に,まず,当該物の発明の構成が開示されていることが必要である。


 そこで,本件において,甲第2号証に本件発明(結晶性アジスロマイシン2水和物)の構成が開示されているといえるかどうかについて検討する。


ア 甲第2号証は,1987年(昭和62年)2月16〜18日に開催された第10回クロアチア化学者会議における発表論文要旨集の抜粋であり,「11−メチルアザ−10−デオキソ−10−ジヒドロエリスロマイシンA(DCH3)の構造研究」との標題の下に,以下の記載がある。


 ...省略...


イ 上記記載によれば,甲第2号証には,得られた結晶(結晶A)がアジスロマイシン2水和物であることはもとより,アジスロマイシンの水和物であることについても,明示的な記載がないことは明らかであり,また,同号証に「結晶学的データ」として記載された物性に関するデータも,その記載のみによって,結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることが容易に知れるというものではない。かえって,弁論の全趣旨によれば,同「結晶学的データ」の欄の冒頭に記載された分子式「C38H72012N2」及び分子量748(Mr=748g/mol)は,いずれもアジスロマイシン無水物に関するものであると認めることができる。この点につき,原告は,甲第2号証に記載された上記結晶Aの格子定数が,甲第3,第4号証に,それぞれアジスロマイシン2水和物の格子定数として記載された数値と一致するのであるから,甲第2号証に記載された結晶Aがアジスロマイシン2水和物と特定される旨主張する。


 しかしながら,甲第2号証に「アジスロマイシン2水和物の構成」が開示されているといえるかどうかは,甲第2号証が特許法29条1項3号所定の刊行物に当たるかどうかという問題に係るものであって,同項の規定上,甲第2号証が同号所定の刊行物に当たるというためには,特許出願前(本件については,本件優先日である昭和62年7月9日前)における当業者の技術常識ないし技術水準を基礎として,甲第2号証記載の結晶Aが結晶性アジスロマイシン2水和物であると容易に知ることができたことを要するものというべきである。


 しかるに,甲第3号証は,1988年(昭和63年)刊行の「J.Chem.Research(s)」所収のB.kamenar,A.Nagl,D.Mrvos(いずれも甲第2号証の著者である。)らによる「Erythromycin Series. Part 13. Synthesis and Structure Elucidation of10-Dihydro-10-deoxo-11-methyl-11-azaerythromycin A(エリスロマイシンシリーズ.パート13.10−ジヒドロ−10−デオキソ−11−メチル−11−アザエリスロマイシンAの合成及び構造解明)」と題する論文であり,甲第4号証は,プリバ社の国際出願(平成15年9月25日国際公開)に係る特表2005−529082号公報であるから,いずれも,本件優先日の後に頒布された刊行物である(甲第4号証については,その国際公開日も本件優先日の後である。)ことが明らかである。したがって,これらの刊行物に記載された知見は,本件優先日当時の当業者の技術常識ないし技術水準を構成するものではなく,仮に,これらの刊行物の記載を参酌することにより,当業者において甲第2号証記載の結晶Aが結晶性アジスロマイシン2水和物であると容易に知ることができたとしても,本件特許出願との関係で,甲第2号証が特許法29条1項3号所定の刊行物であるとすることはできない。


 原告は,甲第3,第4号証は,甲第2号証に記載された結晶Aが2水和物であるという事実を確認するために用いるにすぎないものであるから,甲第3,第4号証自体が,本件優先日後に頒布された刊行物であることは問題とならないと主張する。


 しかしながら,上記のとおり,甲第2号証が特許法29条1項3号所定の刊行物に当たるというためには,本件優先日である昭和62年7月9日前における当業者の技術常識ないし技術水準を基礎として,甲第2号証記載の結晶Aが結晶性アジスロマイシン2水和物であると容易に知ることができたことを要するものであり,本件優先日後の技術常識ないし技術水準を基礎とすることにより,甲第2号証記載の結晶Aは結晶性アジスロマイシン2水和物であったことが初めて理解されるというにすぎない場合には,甲第2号証は同号所定の刊行物に当たるということはできない。


 そして,甲第2号証以外の刊行物である甲第3,第4号証は,その記載に係る知見が,当業者の技術常識ないし技術水準を構成する可能性があるというものにすぎないから,それらが本件優先日後に頒布された刊行物であり,その知見が本件優先日当時の当業者の技術常識ないし技術水準を構成するものに当たらない以上,本件特許出願との関係で,甲第2号証が同号所定の刊行物に当たるか否かについての判断に影響を及ぼすものということはできない。


 また,原告は,特許法29条1項3号の適用においては,本件発明と同一の物が本件優先日前に存在したか否かが問題となるのであって,その事実が,本件優先日後に頒布された刊行物を参照することにより左右されるものではないと主張するが,同号の適用については,本件優先日前において,甲第2号証に本件発明と同一の物が記載されていると理解できたかどうかが問題となるのであって,本件発明と同一の物が本件優先日前に存在したか否かが問題となるものではない。原告の上記主張は,その前提を誤ったものであって失当であるというべきである。


 なお,審決には,「格子定数は結晶性物質の固有の値であるところ,結晶Aの格子定数である『a=17,860(4)Å,b=16,889(3)Å,c=14,752Å』が,本件優先日後の文献である甲第3号証,甲第4号証に記載のアジスロマイシン2水和物の結晶の格子定数と一致することからすると,組成式,分子量は無水物に相当するとはいえ,甲第2号証において結晶Aとして得られた物質は実質的には本件発明のアジスロマイシン2水和物であったと推定できる。」との説示があるが,この説示の趣旨は,後記ウのとおりであって,「本件優先日後の文献である甲第3号証,甲第4号証」の記載を参照することにより,本件特許出願との関係で,甲第2号証が直ちに特許法29条1項3号所定の刊行物に当たると認定したものではない。


ウ 上記イのとおり,甲第2号証に,結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることについて明示的な記載がなく,また,記載された結晶学的データから結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることが特定されないとしても,本件優先日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づいて,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能であり(すなわち,甲第2号証の結晶Aの製造方法が追試可能であり),かつ,その結晶Aが現時点における客観的な資料に基づき,アジスロマイシン2水和物と認められるのであれば,甲第2号証は,本件優先日当時において,たとえその名称や化学構造が不明であれ,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定していたということができる。審決には,上記イの説示を含む「格子定数は結晶性物質の固有の値であるところ,結晶Aの格子定数である『a=17,860(4)Å,b=16,889(3)Å,c=14,752Å』が,本件優先日後の文献である甲第3号証,甲第4号証に記載のアジスロマイシン2水和物の結晶の格子定数と一致することからすると,組成式,分子量は無水物に相当するとはいえ,甲第2号証において結晶Aとして得られた物質は実質的には本件発明のアジスロマイシン2水和物であったと推定できる。したがって,結晶Aがアジスロマイシン2水和物であると認識されていなくとも,甲第2号証に記載の製法に従い結晶Aが製造できるのであれば,甲第2号証には実質的に本件発明が記載されていることとなる。」との説示があるが,この趣旨をいうものであることは明らかである。


 すなわち,審決が,甲第2号証に,結晶Aの製造方法が当業者が理解できる程度に開示されているか否かを検討しているのは,上記(1)の発明の技術的思想の開示という見地からではなく,それ以前の問題として,甲第2号証に結晶性アジスロマイシン2水和物の構成が開示されているといえるかどうかという見地から,その検討を行っているものである。


(3) 原告は,本件発明の新規性に関する審決の判断に,本件発明が新規の化学物質ではないのに,新規の化学物質に適用される本件審査基準規定を適用して,甲第2号証が,特許法29条1項3号の刊行物といえるためには,甲第2号証に,結晶Aの製造方法が当業者が理解できる程度に開示されていなければならないとした誤りがあると主張するが,甲第2号証に結晶性アジスロマイシン2水和物の構成が開示されていると認めるためには,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載によって,実際に結晶Aを製造することが可能であることを必要とすることは,上記(2)のとおりであり,原告の上記主張は,審決の趣旨を正解しないものであって,失当というほかはない。


 また,原告は,本件発明が甲第2号証に記載された発明であると判断するために,甲第2号証に結晶Aの製造方法が記載されていなければならないものとしても,その記載の程度は,新規の化学物質と同等である必要はないというべきであるとした上,(i)甲第2号証により,公知物質(アジスロマイシン)について,その新規な構成である結晶型(2水和物)の発明が具体的構成をもって示されたところ,仮にその結晶型の製法が甲第2号証に記載されていなくとも,当業者は,若干の試行錯誤により容易にその結晶型を得ることができる,(ii)甲第2号証に記載された原料である「DCH3のサンプル(事業体『PLIVA』の研究所で調製)」が入手できなくとも,1水和物と無水物のいずれかがこれに当たるとして,甲第2号証に記載されたアジスロマイシン2水和物を得ることができると主張する。


 しかしながら,上記(i)については,甲第2号証に,アジスロマイシン2水和物が具体的構成をもって示されていないことは,上記(2)のイのとおりであり,だからこそ,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能であり,甲第2号証は,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物を特定していたということができるかどうかを判断する必要が生じたものである。しかるに,結晶Aの製法が甲第2号証に記載されておらず,当業者が,これを得るために「若干の試行錯誤」を要するということは,甲第2号証が,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物を特定しているものではないということに他ならない。すなわち,仮に「その結晶型の製法が甲第2号証に記載されていなくとも,当業者は,若干の試行錯誤により容易にその結晶型を得ることができる」としても,それは審決の判断が誤りであるとする根拠とはなり得ない。


(ii)は,審決が,甲第2号証には,結晶Aの製造方法が当業者が理解できる程度に開示されているとはいえないとした判断の根拠である原料についての主張であり,原告は,別途,取消事由2において,審決の上記判断が誤りであると主張するので,(ii)についても,取消事由2についての検討において併せ判断する。


2 取消事由2(甲第7号証についての判断の誤り)について


 ・・・省略・・・


(3) 上記1の(2)のウのとおり,甲第2号証に,結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることについて明示的な記載がなく,また,記載された結晶学的データから結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることが特定されないとしても,本件優先日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づいて,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能であり(すなわち,甲第2号証の結晶Aの製造方法が追試可能であり),かつ,その結晶Aが現時点における客観的な資料に基づき,アジスロマイシン2水和物と認められるのであれば,甲第2号証は,本件優先日当時において,たとえその名称や化学構造が不明であれ,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定していたということができる。


 しかしながら,甲第7号証の追試及び甲第17号証の追試は,いずれも甲第2号証記載の結晶Aの製造方法についての追試と認めることはできず,他に,本件優先日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づいて,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能である(甲第2号証の結晶Aの製造方法が追試可能である)と認めるに足りる証拠もない。


 したがって,結晶Aが現時点における客観的な資料に基づき,アジスロマイシン2水和物と認められるか否かにつき判断するまでもなく,甲第2号証が,本件優先日当時において,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定していたと認めることもできない。


 そうすると,甲第2号証には,その記載上,アジスロマイシン2水和物と特定し得る物が記載されているとはいえず,本件発明の構成が開示されているということはできない。したがって,発明の技術的思想の開示という見地から,甲第2号証に,本件発明の製造方法を理解し得る程度の記載がされていることが必要であるかどうかについて判断するまでもなく,本件発明との関係で,甲第2号証を特許法29条1項3号の刊行物に当たると認めることはできない。


3 結論


 以上によれば,原告の主張はすべて理由がなく,原告の請求は棄却されるべきである。 』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照してください。


 追伸;<気になった記事>

●『シスコ、グーグルなど11社、特許トロール対策でトラストを組織』http://www.ipnext.jp/news/index.php?id=3857
●『[WSJGoogleなどIT大手、「訴訟目当ての特許保有」対策で団結』http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/01/news078.html
●『大手技術企業、特許侵害訴訟の脅威への対抗を狙う団体を組織』http://mainichi.jp/life/electronics/cnet/archive/2008/07/01/20376349.html