●平成19(行ケ)10120審決取消「結晶性アジスロマイシン2水和物」

 本日は、『平成19(行ケ)10120 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「結晶性アジスロマイシン2水和物」平成20年04月21日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080422152800.pdf)について取り上げます。


 本件は、特許無効審判の棄却審決の取消しを求めた審決取消し訴訟で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、特許法29条1項3号における「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」に関し、上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには、同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該刊行物に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要し、当該物が例えば新規の化学物質である場合には,その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する、と判示した点で、参考になる事案かと思います。


 つまり、知財高裁(第4部 裁判長裁判官 田中信義、裁判官 石原直樹、裁判官 杜下弘記)は、


1 取消事由1(理由4についての判断の誤り)について

(1)ア原告は,本件発明は物の発明であるから,本件発明が特許法29条1項3号に当たるとするためには,刊行物に当該物自体が開示されていれば十分であって,その製造方法まで当該刊行物に開示されている必要はないとし,「一般に,ある発明を特許法第29条第1項第3号に掲げる刊行物に記載された発明というためには,その発明が記載された刊行物において,当業者が,当該刊行物の記載及び本件優先日当時の技術常識に基づいて,その発明に係る物を製造することができる程度の記載がされていることが必要であり,特に新規な化学物質の発明の場合には,刊行物中で化学物質が十分特定され,刊行物の記載からその化学物質の製造方法を当業者が理解できる程度に発明が開示されていることが必要である」とした審決の判断が,誤りであると主張する。


イ しかるところ,特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については,特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該刊行物に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。


 そして,当該物が,例えば新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は,一般に製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示されているというために,製造方法を理解し得る程度の記載があることを要することもあるといわなければならない。


 したがって,原告の上記主張が,物の発明について特許法29条1項3号に当たるとするために,刊行物に当該物の製造方法が記載されている必要はおよそないという趣旨であれば,誤りといわざるを得ない。


 また,原告の引用する東京高裁平成3年10月1日判決は,一対の光学異性体(光学的対掌体)から成るラセミ化合物(ラセミ体)である(R,S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールが引用例に開示されている場合に,同ラセミ体を形成する一対の光学異性体の一方である(S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールの発明が,同引用例に記載されているというべきであるとした審決の認定判断を是認したものであるが,ラセミ体については同発明に係る特許出願前から種々のラセミ分割(光学分割)の方法が行われていたことが当業者にとって技術常識であったという事態を踏まえた判断であるから,物の発明について特許法29条1項3号に当たるとするために,刊行物に当該物の製造方法が記載されている必要はおよそないとしたものということはできない。


 そこで,以下,甲第2号証に本件発明(結晶性アジスロマイシン2水和物)の構成が開示されているといえるかどうかについて検討し,さらに,必要があれば,発明の技術的思想の開示という見地から,甲第2号証に本件発明の製造方法を理解し得る程度の記載が必要であるかどうかについて検討する。


ウ 甲第2号証は,1987年(昭和62年)2月16〜18日に開催された第10回クロアチア化学者会議における発表論文要旨集の抜粋であり,「11−メチルアザ−10−デオキソ−10−ジヒドロエリスロマイシンA(DCH3)の構造研究」との標題の下に,以下の記載がある。


 ・・・省略・・・


エ ところで,上記のとおり,甲第2号証に,結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることについて明示的な記載がなく,また,記載された結晶学的データからも結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることが特定されないとしても,本件特許出願に係る優先権主張日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づいて,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能であり(すなわち,甲第2号証の結晶Aの製造方法が追試可能であり),かつ,その結晶Aが現時点における客観的な資料に基づき,アジスロマイシン2水和物と認められるのであれば,甲第2号証は,本件特許出願に係る優先権主張日当時において,たとえその名称や化学構造が不明であれ,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定していたということができる。


 そこで,まず,本件特許出願に係る優先権主張日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づき,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能であるか否かにつき検討するとともに,併せて,甲第5号証(単結晶化の具体的条件は甲第20号証)記載の試験が,甲第2号証記載の結晶Aの製造方法についての追試といえるか否かにつき検討する。


 前記甲第2号証の記載のうち,結晶Aの製造方法に係るのは,「新たな15員環エリスロマイシンAシリーズのサンプルDCH3(開発研究所“プリバPLIVA”で調製)を,室内の条件下でエーテルから再結晶した。」との記載であり,このほかに,甲第2号証の標題に「11−メチルアザ−10−デオキソ−10−ジヒドロエリスロマイシンA(DCH3)の構造研究」との記載があるから,結晶Aは,11−メチルアザ−10−デオキソ−10−ジヒドロエリスロマイシンA(アジスロマイシン)の化学構造を有し,開発研究所「プリバ」で調製した「サンプルDCH3」を,「室内の条件下」で「エーテルから再結晶」して製造されることが理解される。


 しかしながら,甲第2号証には,原料物質である「サンプルDCH3」について,その製造方法や入手方法,水和状態などの記載がなく,本件特許出願に係る優先権主張日当時,当業者がこれらの点を技術常識として知悉していたことを認めるに足りる証拠もない。なお,甲第5号証の試験は,原料物質を「FJ001粉末」とし,原告は,これがスペイン・エルクロス社製のアジスロマイシン1水和物であると主張するが,これが,「サンプルDCH3」と同等のものと認めるに足りる証拠もない。


 この点につき,原告は,甲第2号証に記載されている操作方法は,結晶物を再度結晶化することを意味する広義の「再結晶」であるものの,単結晶でなければなし得ないX線解析(格子定数の解明)を行っているから,行為としては「単結晶化」を行ったものであるところ,「単結晶化」を含む再結晶操作においては,出発物質である結晶物をエーテルの溶媒に溶解した時点で,溶液中のアジスロマイシンは,出発物質の結晶構造から解放され,均一分散された単なる分子として存在することとなるから,再結晶に当たって,出発物質の製造方法及び元の結晶形が再結晶化後の結晶構造に影響を与えることはなく,DCH3の製造方法や入手方法は何ら問題とならないと主張し,また,DCH3が公知の結晶物,すなわち,アジスロマイシン1水和物であろうことは明白であるとも主張する。


 しかしながら,1963年(昭和38年)9月15日縮刷版第1刷発行の化学大辞典編集委員会編「化学大辞典3」(乙第6号証)には,「再結晶」との用語につき,「結晶性物質を適当な溶媒を使って精製する一方法.不純物を含む結晶を溶媒に溶かし,ある温度t2で飽和溶液をつくり,これをt2より低い温度t1まで冷却すると,t2とt1との溶解度の差に相当する量の溶質が析出する.この沈殿をロ過すれば,t1で飽和に達していない不純物は溶液中に残るから結晶の精製ができる.」との記載があるところ,この記載において,再結晶前の物質と再結晶後の物質とが同じものとされていることは明らかであり,かつ,同文献が一般的な化学辞典であることにかんがみて,このことは,本件特許出願に係る優先権主張日当時における当業者の技術常識であったものと認められるから,再結晶に係る出発物質(原料物質)が,再結晶化後の結晶構造に影響を与えることはないとする原告の上記主張を採用することはできない。


 原告は,その主張の前提として,甲第2号証に記載されている操作方法は,結晶物を再度結晶化することを意味する広義の「再結晶」であるものの,行為としては「単結晶化」を行ったものであるとするところ,単結晶化という趣旨で「再結晶」との用語を用いる例がないとはいえないが(例えば,特開昭63−112584号公報(甲第21号証の2)はその趣旨で用いていると認められる。),甲第2号証の記載における「再結晶」の用語をそのような趣旨に限定する根拠はない。


 さらに,甲第2号証には,DCH3を「室内の条件下」で「エーテルから再結晶」して結晶Aが製造される過程で,水を添加する旨の記載も示唆もないところ,そうであれば,原料物質のDCH3がアジスロマイシン無水物であれ,1水和物であれ,再結晶後の結晶がアジスロマイシン2水和物となるような試験は,そのこと自体で,甲第2号証記載の製造方法の正確な追試ということはできない。換言すれば,仮に甲第2号証において,原料物質のDCH3がアジスロマイシン無水物又は1水和物を意味し,再結晶後の結晶Aがアジスロマイシン2水和物を意味しているものとすれば,「室内の条件下でエーテルから再結晶した」との記載は,少なくとも水の添加について記載も示唆もない点において不完全であって,その追試は不可能といわざるを得ない。


 この点につき,原告は,単結晶を調製する場合,「室温の条件下でエーテルから再結晶した」との記載から,通常,溶液をオープン系(空気と接触可能な環境)で長時間(数日間)静置すると理解され,吸湿性の高いエーテル溶液状態で何日間も放置すれば,水含有量の多い原料の使用,水含有量の多いエーテルの使用,或いは高湿度環境下での再結晶操作などの特殊な条件下でなくとも,アジスロマイシンの物性上,必然的に水分子を取り込み,2水和物が生成すると主張する。また,甲第5号証の試験は,気温25℃,湿度92%の環境下で,5 mL バイアル瓶に「FJ001粉末」を入れ,ジエチルエーテルを加えて撹拌溶解した後,当該5 mL バイアル瓶にパラフィルムを被せるものの,そのフィルムには針で穴を空け,この5 mLバイアル瓶を15 mL バイアル瓶中に入れて蓋をし,20℃にセットしたプロコン低温恒温器に8日間静置する方法を採用している(甲第20号証)。


 しかしながら,当該主張及び甲第5号証の試験は,要するに,再結晶操作を,溶媒であるエーテルが水分を十分に吸収するような環境において行うというものであり,結果的に水含有量の多いエーテルを使用したというのと変わらず,実質的に水を添加するということに等しいというべきであるが,本件特許出願に係る優先権主張日当時における当業者が,甲第2号証の「室温の条件下でエーテルから再結晶した」との記載に基づき追試を行う際に,技術常識上,そのような環境を選択するものと認めるに足りる証拠はない。


 そうすると,本件特許出願に係る優先権主張日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づいて,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能である(甲第2号証の結晶Aの製造方法が追試可能である)ということはできず,甲第5号証の試験を,甲第2号証記載の結晶Aの製造方法についての追試と認めることもできないから,結晶Aが現時点における客観的な資料に基づき,アジスロマイシン2水和物と認められるか否かにつき判断するまでもなく,甲第2号証が,本件特許出願に係る優先権主張日当時において,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定していたと認めることもできない。


オ 以上によれば,甲第2号証には,その記載上,アジスロマイシン2水和物と特定し得る物が記載されているとはいえず,本件発明の構成が開示されているということはできない。


 したがって,発明の技術的思想の開示という見地から,甲第2号証に,本件発明の製造方法を理解し得る程度の記載がされていることが必要であるかどうかについて判断するまでもなく,本件発明との関係で,甲第2号証を特許法29条1項3号の刊行物に当たると認めることはできず,審決の理由4についての判断に,原告主張の誤りがあるということはできない。 』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照してください。


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