●平成22(行ケ)10247 審決取消請求事件「電界放出デバイス用炭素膜

 本日は、『平成22(行ケ)10247 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「電界放出デバイス用炭素膜」平成23年04月14日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110419132527.pdf)について取り上げます。


 本件は、拒絶審決の取消を求めた審決取消訴訟で、その請求が認容された事案です。


 本件では、2 取消事由(本願発明1の実施可能要件違反の認定判断の誤り)についての判断が参考になるかと思います。


 つまり、知財高裁(第4部 裁判長裁判官 滝澤孝臣、裁判官 郄部眞規子、裁判官 井上泰人)は、


『2 取消事由(本願発明1の実施可能要件違反の認定判断の誤り)について


?A 実施可能要件の意義

 法36条4項は,「発明の詳細な説明は,…その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない」と規定している(以下「実施可能要件」ということがある。)。


 特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を一般に開示する内容を記載しなければならない。法36条4項が上記のとおり規定する趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。


 そして,本件のような物の発明における発明の実施とは,その物を生産,使用等をすることをいうから(特許法2条3項1号),物の発明については,その物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば,実施可能要件を満たすということができる。


?A 本願発明に係る炭素膜の製造方法について


 ・・・省略・・・


オ 小括

 以上総合すれば,本願明細書には,本願発明1に係る炭素膜の製造方法が記載されているところ,記載された条件の中で,当業者が技術常識等を加味して,具体的な製造条件を決定すべきものであり,これにより本願発明1に係る炭素膜を製造することは,可能であるというべきである。


?A 本件審決の判断について

ア 本件審決は,?本願発明1で用いられる炭素膜の製造工程は,上記?Aイの(ア)(イ)(エ)が必須の製造工程であるが,同(ウ)(オ)(カ)は選択的なものであること,?本願発明の製造工程は,従来の「ダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜」の製造方法として甲1刊行物及び甲2刊行物に記載されている製造工程と実質的に同じものであり,その製造条件は,従来の「ダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜」の製造方法として上記刊行物に記載されている製造条件を含むから,発明の詳細な説明に記載されている炭素膜の製造工程は,当該製造工程により従来のダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜が製造できても,それを超える本願発明1に係る炭素膜の製造を保証するものではないこと,?炭素膜の製造方法における温度,圧力等の製造パラメータが多数あり,かつ,その数値範囲もCVDダイアモンド膜が製造できる数値を含んでいることから,当業者は,種々の製造パラメータにおける適正な範囲やそれらの組合せ,その他の製造パラメータについて更に特定して,所望の特性を有する炭素膜を製造する方法を見つけ出さなくてはならず,当業者が過度の試行錯誤を強いられること,?したがって,本願発明1の電子放出デバイスが有する「炭素膜」を実施するための製造方法に関して,発明の詳細な説明には,従来のダイアモンド膜を含む一般の「炭素膜」を製造する方法が記載されているにすぎず,請求項1に記載したUVラマンバンドに関する特性を有する特定の炭素膜を実施するための製造方法が,明確かつ十分に記載されているものとはいえないし,本願発明1の「炭素膜」を得るための具体的な製造方法が,当業者の技術常識であったともいえないと判断した。


イ しかしながら,本件審決の上記?ないし?の判断は,以下のとおり,誤りである。


?A 上記?について

 本願明細書(【0010】)には,本願発明の製造工程が工程順に記載されているのであるから,当業者は,明細書の記載としては,代表的な製造プロセスの全工程が一体として記載されていると理解するのが通常であると解される。そして,製造工程のうち,上記?Aイの(ウ)(オ)(カ)の工程について,時間の上限のみが言及されているからといって,その工程が省略可能であり,その余の同(ア)(イ)(エ)の工程のみが必須の製造工程であると解することは相当とはいえない。また,本願明細書の記載(【0021】〜【0024】【0027】)からは,本願発明の炭素膜は秩序だったsp3結合炭素の領域が非常に小さく,均一に分散しているという特徴的組織構造を有しており,本願明細書の記載(【0010】〜【0012】)及び本件意見書(甲5)の上記記載等によると,水素流速を非常に小さくして形成するとダイアモンド微結晶が形成できることが示されており,本願明細書の【0010】ないし【0012】で示された範囲の中でも,ガス濃度を小さくする等の結晶を大きくさせない条件によって,ダイアモンド微結晶が形成できることが示唆されているということができる。


 よって,本願明細書【0010】の製造工程中,上記?Aイの(ア)(イ)(エ)のみが必須の製造工程であるとした本件審決の上記?の判断は,誤りである。


?A 上記?について

甲1刊行物は,耐摩耗性,耐熱性及び耐欠損性に優れた工具用ダイアモンドを製造するための方法に関するものである(【0001】)。甲1刊行物には,【請求項1】に記載されるように,多結晶ダイアモンドを気相合成する方法の原料ガスの水素に対する炭素源の濃度を経時的にかつ周期的に変化させる方法が記載されており,実施例として,【0033】及び【0034】のプロセスを繰り返すことが記載されている(【0032】〜【0035】)。しかしながら,甲1刊行物は,あくまでもダイアモンド膜の文献であり,形成される炭素膜に関して,X線解析によってより硬く摩耗しにくく劈開しにくい多結晶ダイアモンドを製造するために(【0015】),多結晶ダイアモンドがどのような結晶面を有しているかを分析しているだけであって,アモルフォス部分や非常に無秩序な黒鉛状の部分が混合されている点や,sp2結合状態とsp3結合状態の分布を問題にしている点に関して何ら認識していないものである。たとえ,【0033】【0034】のプロセスのうち一部を取り出せば,本願明細書【0010】ないし【0012】に重複する条件があるとしても,本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する甲1刊行物によって,UVラマンバンドを特定して,電界放出デバイス特性を向上させた本願発明の記載要件判断における,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する技術水準を認定すること自体,誤りである。


 また,甲2刊行物は,多結晶薄膜ダイアモンドを形成する薄膜ダイアモンドの製造方法に関するものである。甲2刊行物には,ダイアモンドの硬度,熱伝導率,透光性,耐熱性を利用した半導体分野での応用を前提として発明がされていること(【0001】〜【0003】),ダイアモンド結晶合成時の核発生密度を高めることで緻密な薄膜ダイアモンドを実現し,薄膜ダイアモンドと基板との界面での応力緩和を課題としていること(【0008】)が記載されており,水素−メタン混合ガスを用いた合成条件が開示されている(【0048】)。しかしながら,甲2刊行物は,フッ酸を含む電解液中での陽極化成処理で基板表面に多孔質層を形成して格子歪みを導入した後,薄膜ダイアモンドを気相合成して,できるだけ多くの核発生を生じさせ,最終的に連続膜を形成することを目的としたものであり(【請求項1】【0051】),アモルフォス部分や非常に無秩序な黒鉛状炭素の部分が混合されている点や,sp2結合状態とsp3結合状態の分布を問題にしている点に関して何ら認識していない。たとえ,【0048】のプロセスのうち一部を取り出せば,本願明細書【0010】ないし【0012】に重複する条件があるとしても,本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する甲2刊行物によって,UVラマンバンドを特定して,電界放出デバイス特性を向上させた本願発明の記載要件判断における,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する技術水準を認定すること自体,誤りである。


 なお,被告は,炭素膜についての実施可能要件を論ずるに当たっては,請求項1で特定された炭素膜の材質,構造あるいは製造方法の異同が本質といえるものであって,その用途の相違は格別問題とならないと主張する。


 しかし,対象としている用途が異なることに起因して着目している炭素膜の構造や特性が異なっており,本願発明では,アモルフォス構造等の中に秩序立ったsp3結合炭素(ダイアモンド構造)を非常に少量,均一性をもって分散させることに着目するのに対し,甲1刊行物及び甲2刊行物は,均一な多結晶ダイアモンド層を形成することに着目していることからみて,膜構造について着目している点がそもそも異なり,かつ,実際の膜構造も異なっているのであるから,甲1刊行物及び甲2刊行物を実施可能要件判断のための技術水準の認定に用いることは,相当でない


 よって,甲1刊行物及び甲2刊行物に基づき技術水準の認定をした本件審決の上記?の判断は,誤りである。


?A 上記?について

 なお,本件審決の上記?の判断は,全てのパラメータの開示が必要であることを述べたものではなく,炭素膜の形成に影響を及ぼす他のパラメータの存在を指摘して,開示条件の記載が少ないことを指摘したものにすぎないと解される。そして,被告が主張するような無数の試行錯誤があるわけではなく,当業者にとって過度な試行錯誤とまではいえない。


?A 被告の主張について

ア 被告は,当業者が,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法の域を出ていない本願明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて,本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」を製造できることが保証されることにはならないと主張する。


 しかし,本願明細書に記載された複数の条件の全範囲で,本願発明が製造できる必要はなく,技術分野や課題を参酌して,当業者が当然行う条件調整を前提として,【0010】ないし【0012】に記載された範囲から具体的製造条件を設定すればよい。


イ 被告は,本件意見書に添付したランシートに記載された3つのサンプルについて,4つの製造条件(パラメータ)がカバーする範囲は,本願明細書の発明の詳細な説明(【0010】〜【0012】)に記載された製造条件(パラメータ)の範囲の一部分でしかないと主張する。


 しかし,本来,物の発明において,適用可能な条件範囲全体にわたって,実施例が必要とされるわけではない。物の発明においては,物を製造する方法の発明において,特許請求の範囲に製造条件の範囲が示され,公知物質の製造方法として,方法の発明の効果を主張しているケースとは,実施例の網羅性に関して,要求される水準は異なるものと解される。


 なお,本件意見書のランシートに記載された3つのサンプルは,本願明細書(【0010】〜【0012】)で示された範囲のうち,偏った部分の具体例,すなわち,メタン濃度が低く,流入時間が短い部分の具体例,基板温度も低い部分の具体例,堆積圧力も低い部分の具体例であるといわざるを得ない。


 しかしながら,本願発明が,「薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無秩序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3結合炭素及び秩序立ったsp3結合炭素の,独特な組合せからなっている炭素膜」(【0021】)という目標構造を持っている以上,膜厚の大きな,結晶性の高い膜を得るためには,原料ガスを十分に供給して,基板温度を上げて結晶性を高めることが一般的膜形成の技術常識というべきであるから,これは予測可能な結果であるということができる。


 そして,クリーニングやエッチングを行う前提で,結晶核を形成する段階(シーディング工程)ではメタン濃度をある程度高くし,発生した結晶核を成長させる段階(グロース工程)では,メタン濃度を下げるという方法で,本件意見書(甲5)のランシートのサンプル(LJ012397−02−Aの試料)が製造できたのであり,最終目標とする炭素膜の構造である無秩序なマトリックス内に秩序立ったsp3結合炭素が均一に少量存在するというものの製造方法ということができる。


 以上のとおり,本願明細書【0010】ないし【0012】の条件範囲は,製造可能なパラメータ範囲を列挙したと捉えるべきで,当業者は具体的な製造条件決定に際しては,技術常識を加味して決定すべきものである。


?A 小括

 以上のとおり,取消事由1は,理由がある。』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照して下さい。