●平成21(行ケ)10170 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟

 本日は、『平成21(行ケ)10170 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「坑血小板剤スクリーニング方法」 平成22年05月10日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100511092210.pdf)について取り上げます。


 本件は、拒絶審決の取消を求めた審決取消請求事件で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、実施可能要件についての判断が参考になるかと思います。


 つまり、知財高裁(第2部 裁判長裁判官 中野哲弘、裁判官 真辺朋子、裁判官 田邉実)は、

『2 実施可能要件具備の有無

 審決は,本願明細書の発明の詳細な説明は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されておらず,旧36条4項に規定する要件(実施可能要件)を満たしていないとし,一方,原告はこれを争うので,以下,これにつき判断する。


 ・・・省略・・


(5)アところで,平成13年10月31日になされた原出願からの分割出願として平成15年10月14日になされた本願について適用される平成14年法律第24号による改正前の特許法(旧)36条4項は,前記のとおり,「前項第3号の発明の詳細な説明は,経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない。」と定めており,これは実務上,実施可能要件と称されているが,原告がなした本件特許出願(本願)が上記要件を満たさないものであれば,同法49条4号により拒絶査定を受けるべきものとなるので,以下,その該当性の有無について検討する。


イ 上記条文は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が,明細書及び図面に記載した事項と出願時の技術常識とに基づき,請求項に係る発明を実施することができる程度に,発明の詳細な説明をしなければならないとしたものである。これは,特許を認め権利を設定するということは,十分な発明の開示の代償として独占権を付与するというのが制度の趣旨であることから,発明の詳細な説明の記載は当業者が当該発明を実施できるようにされていなければならない,ということである。


ウ そこで,これを本願についてみると,本願請求項の構成は,前記のとおり,「(A)・(B)・(C)の定める各検出方法いずれか又はこれらを組み合わせたことによるADP受容体P2T アンタゴニスト等を検出すACる工程」と「製造化工程」と含む「抗血小板用医薬組成物の製造方法」とするものである。上記構成は,概ね,原告が前記特許第3519078号(甲13)により取得した特許権請求項1〜4の記載に「製造化工程」を付加し「抗血小板用医薬組成物の製造方法」としたものである。そして,検出方法(A)・(B)・(C)については具体的な技術内容が特定されているものの,その余の「製造化工程」・「医薬組成物の製造方法」には具体的な技術内容の記載が見当たらない。

 一方,本願請求項1は,その記載内容からして,末尾にある「医薬組成物の製造方法」であるから,「製造方法」の観点か,又は「物」の観点,すなわち製造原料の観点や製造された医薬組成物の観点若しくはその組み合わせに発明的な特徴があるのが通例であるが,本願請求項1には上記発明的特徴を窺わせる記載が見当たらない。


 上記によれば,本願請求項1は旧36条6項2号にいう「特許を受けようとする発明が明確であること」(明確性要件)の要件を満たすか問題となる余地があるが,審決は本願につき旧36条4項の実施可能要件についてのみ判断しているので,以下その当否に限って検討する。


エ(ア) 本願請求項1(本願発明)の場合,「製造される物」は有効成分である化合物と製剤化に必要な汎用の成分とからなる「抗血小板用医薬組成物」であるから,当業者がかかる医薬組成物を製造するためには,明細書の記載から有効成分たる化合物が何であるかを理解・把握する必要があり,その際は,有効成分たる化合物を化学構造の観点から化合物自体として把握する必要があるというべきである。


 すなわち,本願発明の製造方法において製剤化工程を行うためには,その前提として,抗血小板用医薬組成物における有効成分となるものを化合物自体として特定して把握する必要があるというべきである。そうすると,審決が「当該製造方法において,製剤化工程を行うには,当該製剤化工程に先立って,当該(A)〜(C)のいずれか1つの検出方法,又は,それらの組み合わせによるスクリーニングでもって,公知のものに限ってみても,種々の化合物,ペプチド等の,広範かつ無数に近い試験化合物の中より,抗血小板剤として有用なものを化合物自体として特定して把握する必要がある。」(5頁30行〜6頁1行)としたことに誤りはない。


(イ) そこで,かかる見地から本願発明をみるに,本願明細書(甲3)には,(A)〜(C)として特定される検出方法によって抗血小板医薬となり得る化合物たるADP受容体P2T アンタゴニストをスクリーニACングすることができること,すなわち抗血小板医薬の有効成分となる可能性のある化合物を選び出すことが可能であること,抗血小板作用を示す物質として知られている化合物(具体的には2MeSAMP又はAR−C69931MX)が,(A)〜(C)として特定される検出方法によってアンタゴニスト活性を示すことが確認できたことが記載されている(段落【0012】)。また,抗血小板剤として公知のチクロピジンやクロピドグレルの体内での代謝物がADP受容体P2T を阻害するACことで効果をもたらしていると考えられていることなどが紹介され,血小板のADP受容体P2T に対する拮抗薬は,抗血小板剤となる期待ACのあることが記載されている(段落【0007】,【0008】)。そして,実施例では,上記2つの化合物(2MeSAMP,AR−C69- 43 -931MX)についての検出実験が行なわれている(段落【0114】〜【0121】)。


 しかし,上記2つの化合物は抗血小板作用を示すことが知られていたものであるからADP受容体P2T のアンタゴニストである蓋然性ACが高く,これらがアンタゴニスト活性を示すことが確認されたという結果は,単に(A)〜(C)として特定される検出方法が有効な検出方法であることの証左になるにすぎない。しかも,実施例は単に上記2つの化合物からADP受容体P2T アンタゴニスト活性が検出されたことACを示すのみで,検出される化合物が共通して持つ化学構造や物性など「物」の観点からの説明はなく,このような実施例の記載から他にいかなる化合物が検出されるか当業者が理解することはできない。すなわち,この2つの化合物以外にどのような化学構造や物性の化合物が(A)〜(C)として特定される検出方法によって有効成分として検出されるか,当業者は理解することができない。


 そして,本願明細書(甲3)には,何ら新規な化合物からなるリガンド,アンタゴニスト,アゴニストを発見したことは記載されておらず,したがって,新規な医薬組成物を製造することも記載されていない。


 以上のとおり,本願明細書(甲3)は,実施例で検出が行われた個別の2つの物質に関してADP受容体P2TACアンタゴニスト活性が確認された旨の記載があるに止まるものであり,どのような化学構造や物性の化合物が有効成分となるかについての具体的な記載はない。したがって,当業者は,本願明細書の記載からある化学構造の化合物を含む組成物が本願発明に該当するかどうかを認識・判断することはできない。そして,本願発明の特許請求の範囲全体を実施するためには,特定されていない無数の化合物を無作為に製造し,特許請求の範囲に記載された検出方法を適用して試験化合物からADP受容体P2TACリガンド,アンタゴニスト又はアゴニストが検出されるかどうかを確かめ,ADP受容体P2T アンタゴニスAC トたる化合物を見つけ出さなければならないが,このことは当業者に過度の試行錯誤を強いるものというべきである。すなわち,本願明細書の記載からは,スクリーニング工程を経てアンタゴニストとなる化合物が発見された場合に限り,その化合物を用いた抗血小板用医薬組成物を認識できるということが示唆されているのみであり,このことは特定の医薬組成物を認識しうることの単なる期待を示しているにすぎないのであるから,アンタゴニストとなる化合物を発見し,その化合物を用いた抗血小板用医薬組成物を認識するまでにはなお当業者に過度の負担を強いるものである。


(ウ) これに対し,原告は,本願優先日(平成12年11月1日又は平成13年1月11日)時点での技術水準を正確に認識し,本願明細書の発明の詳細な説明の記載からHORK3タンパク質が有する特徴的な結合特性を正確に把握すれば,HORK3タンパク質をGPCRとして用いる本願発明において「特定の医薬組成物を認識しうること」には極めて高い蓋然性が認められるから,当業者はHORK3タンパク質をGPCRとして用いる本願発明方法によって「特定の医薬組成物を認識しうること」が極めて高い蓋然性を有することは自明であると主張する。


 しかし,前記のとおり,本願発明の場合,「製造する物」は有効成分である化合物と製剤化に必要な汎用の成分とからなる抗血小板用医薬組成物であるから,当業者は明細書の記載自体から抗血小板用医薬組成物における有効成分となるものを化合物自体として特定して把握することができること,いいかえれば,明細書の記載自体からある化学構造の化合物を含む組成物が本願発明に該当するかどうかを認識・判断することができなければならないというべきである。


 そうすると,当業者がスクリーニング工程を含む検出過程を経なければ有効成分となる化合物を把握することができないという点において,候補化合物の多寡,スクリーニング対象となる化合物群ないしライブラリーの入手のしやすさ,検出に要する時間の長短,スクリーニング操作が簡便であるかなどにかかわらず,本願明細書の発明の詳細な説明は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されているとはいえない,即ち本願における発明の詳細な説明は実施可能要件(旧36条4項)を充足していないと認めるのが相当である。


(6) 原告の主張に対する補足的判断

ア なお,原告は,本願発明と同じ生物関連発明の分野において,製造される目的物である「物」が出願時に網羅的に化合物として特定して把握されていない場合であっても,製造方法の特許として被告が特許の成立を認めている事例がある(例えば,特許第2912618号〔甲49〕,第2594900号〔甲50〕,2714786号〔甲51〕,2865645号〔甲52〕)と主張する。


 しかし,特許出願が実施可能要件を満たすか否かの判断は,個別具体的に行われるものであるから,上記事例の内容如何に拘わらず,それが本願の実施可能要件の存否に関する判断を左右するものではない。


イまた,原告は,欧州特許庁及び米国特許商標庁おいては,スクリーニング工程に使用する受容体が出願時に公知である場合,有効成分をそのスクリーニング工程によって限定せず作用のみによって特定した形式の特定医薬用途に関するクレーム又は治療方法クレームであっても,相当数の特許が成立していると主張するが,欧州及び米国は我国とは異なる法制度を有しているのであり,それが理由で前記判断が覆るものでもない。

3 結語

 以上によれば,本願につき実施可能要件を具備しないとした審決の判断に誤りがあるということはできず,これを違法とする原告の主張はいずれも理由がない。


 よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照してください。