●平成17年(行ケ)第10042号 「偏光フィルムの製造方法事件」知財

 本日は、復習もかねて、昨日取り上げた、『平成20(ワ)10854 特許権侵害差止等請求事件 特許権 民事訴訟「レベル・センサ」平成21年12月24日 大阪地方裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20091225094252.pdf)のなかで引用されていた知財高裁第合議事件である、●『平成17年(行ケ)第10042号 特許取消決定取消請求事件「偏光フィルムの製造法事件」平成17年11月11日 知的財産高等裁判所』(http://www.ip.courts.go.jp/documents/pdf/g_panel/10042.pdf)について取り上げます。


 つまり、本知財高裁大合議事件では、

1 取消事由1(特許法旧36条5項1号違反の判断の誤り)について

(1) 特許法旧36条5項は,「第三項四号の特許請求の範囲の記載は,次の各号に適合するものでなければならない。」と規定し,その1号において,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。」と規定している(なお,平成6年改正法により,同号は,同一文言のまま特許法36条6項1号として規定され,現在に至っている。以下「明細書のサポート要件」ともいう。)。


 特許制度は,発明を公開させることを前提に,当該発明に特許を付与して,一定期間その発明を業として独占的,排他的に実施することを保障し,もって,発明を奨励し,産業の発達に寄与することを趣旨とするものである。そして,ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は,本来,当該発明の技術内容を一般に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから,特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。


 特許法旧36条5項1号の規定する明細書のサポート要件が,特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは,発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると,公開されていない発明について独占的,排他的な権利が発生することになり,一般公衆からその自由利用の利益を奪い,ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ,上記の特許制度の趣旨に反することになるからである。


 そして,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,明細書のサポート要件の存在は,特許出願人(特許拒絶査定不服審判請求を不成立とした審決の取消訴訟の原告)又は特許権者(平成15年法律第47号附則2条9項に基づく特許取消決定取消訴訟又は特許無効審判請求を認容した審決の取消訴訟の原告,特許無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟の被告)が証明責任を負うと解するのが相当である。


 以下,上記の観点に立って,本件について検討することとする。


(2) 本件明細書の特許請求の範囲の記載について


 本件発明1に係る本件請求項1には,ポリビニルアルコール系原反フィルムを一軸延伸して偏光フィルムを製造するに当たり,原反フィルムとして厚みが30〜100μmであり,かつ,熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が式(I)及び式(II)の二式で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルム(PVAフィルム)を用いる製造法が記載されている。また,本件発明2及び3に係る特許請求の範囲の請求項2及び3は,いずれも本件請求項1を引用するものである。


(3) 本件明細書の発明の詳細な説明の記載について


 ・・・省略・・・


(4) 発明の詳細な説明に記載された発明と特許請求の範囲に記載された発明との対比

ア 特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきことは,上記(1)で説示したとおりである。


 そして,上記(2)から明らかなとおり,本件発明は,特性値を表す二つの技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を構成要件とするものであり,いわゆるパラメータ発明に関するものであるところ,このような発明において,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明は,その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するものと解するのが相当である。


イ そこで,本件明細書の記載が,特許請求の範囲の本件請求項1の記載との関係で,上記アの明細書のサポート要件に適合するか否かについてみると,上記(3)で検討したとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し,耐久性及び偏光性能に優れ,かつ製造時の安定性に優れた性能を有する偏光フィルムを製造するための手段として,本件請求項1に記載された構成を採用したことが記載されているものの,その構成を採用することの有効性を示すための具体例としては,特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値を有するPVAフィルムから,高度の耐久性を持ち,かつ,高延伸倍率に耐え得る偏光フィルムを得たことを示す実施例が二つと,特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値を有するPVAフィルムから,耐久性が十分でなく,高延伸倍率に耐えられない偏光フィルムを得たことを示す比較例が二つ記載されているにすぎない。


 他方,本件発明は,原反フィルムとして用いられるPVAフィルムが満たすべき完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが,本件請求項1に規定された,Y>−0.0667X+6.73〔式(I)〕及びX≧65〔式(II)〕の二式で画定される範囲に存在する関係にあることにより,上記所望の性能を有する偏光フィルムが得られるというのであるところ,少なくとも,上記範囲が,式(I)の基準となるY=−0.0667X+6.73の式(以下「式(I)の基準式」という。)及び式(II)の基準となるX=65℃の式(以下「式(II)の基準式」という。)を基準として画されるということが,本件出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できるものであったことを認めるに足りる証拠はない。


 また,PVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)を60℃〜100℃のX軸,平衡膨潤度(Y)を1.0〜3.0のY軸に取ったXY平面に,式(I)の基準式を斜めの実線で,式(II)の基準式を縦の破線で表した上,これに上記実施例及び比較例で用いられたPVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値をプロットした別紙1の第1図(その図示の内容自体は当事者間に争いがない。)に見るとおり,同XY平面において,上記二つの実施例と二つの比較例との間には,式(I)の基準式を表す上記斜めの実線以外にも,他の数式による直線又は曲線を描くことが可能であることは自明であるし,そもそも,同XY平面上,何らかの直線又は曲線を境界線として,所望の効果(性能)が得られるか否かが区別され得ること自体が立証できていないことも明らかであるから,上記四つの具体例のみをもって,上記斜めの実線が,所望の効果(性能)が得られる範囲を画する境界線であることを的確に裏付けているとは到底いうことができない。


 そうすると,本件明細書に接する当業者において,PVAフィルムの完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが,XY平面において,式(I)の基準式を表す上記斜めの実線と式(II)の基準式を表す上記破線を基準として画される範囲に存在する関係にあれば,従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し,上記所望の性能を有する偏光フィルムを製造し得ることが,上記四つの具体例により裏付けられていると認識することは,本件出願時の技術常識を参酌しても,不可能というべきであり,本件明細書の発明の詳細な説明におけるこのような記載だけでは,本件出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載しているとはいえず,本件明細書の特許請求の範囲の本件請求項1の記載が,明細書のサポート要件に適合するということはできない。


ウ 原告は,平衡膨潤度(Y)は1以上で上限値が3.0を超えることはなく,熱水中での完溶温度(X)は下限値が65℃で上限値は実質90℃であるから,式(I)及び式(II)の二式を満足する範囲は無制限に広い範囲を示すものではないとも主張する。


 しかしながら,仮に,熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値の範囲がその主張のとおりであるとしても,式(I)の基準式が上記四つの具体例により的確に裏付けられているということができないことは上記イのとおりであるから,実際に効果が確認された二つの実施例を根拠に,実施例で使用された以外のPVAフィルムも,式(I)及び式(II)の二式を満足しさえすれば必ず上記所望の効果を奏するということができないことに変わりはない。したがって,原告の上記主張は,採用の限りではない。


(5) 原告は,本件異議申立ての審理の段階で提出した,甲6証明書記載の10点の実験データと本件明細書記載の4点の実験データを参酌すれば,式(I)及び式(II)の二式を導き出すための具体例の数としては十分であり,上記二式を満足するPVAフィルムが優れた効果を奏するとの確証を得るにも十分であるのに,決定は,甲6証明書を全く考慮せずに,上記のとおり,本件明細書記載の実施例1,2の2点及び比較例1,2の2点の合計4点のみを基にして,上記二式を満たすものがすべて偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏するとの心証を得るには,実施例が十分ではなく,本件明細書の記載及び当該分野の技術常識に照らしても,上記二式を満足するものが上記の優れた効果を奏するとの確証を得られるものではないとしたが,この判断は誤りである旨主張する。


ア しかしながら,上記(4)アのとおり,特性値を表す二つの技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を構成要件とする,本件発明のようないわゆるパラメータ発明において,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するために,発明の詳細な説明に,特許出願時の技術常識を参酌してみて,パラメータ(技術的な変数)を用いた一定の数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要すると解するのは,特許を受けようとする発明の技術的内容を一般に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという明細書の本来の役割に基づくものであり,それは,当然のことながら,その数式の示す範囲が単なる憶測ではなく,実験結果に裏付けられたものであることを明らかにしなければならないという趣旨を含むものである。


 そうであれば,発明の詳細な説明に,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に,具体例を開示せず,本件出願時の当業者の技術常識を参酌しても,特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで,発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえないのに,特許出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することによって,その内容を特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで拡張ないし一般化し,明細書のサポート要件に適合させることは,発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないというべきである。


 ・・・省略・・・


ウ そうすると,甲6証明書の記載をそのまま信用するとしても,甲6証明書記載の実験データは,本件明細書の発明の詳細な説明に具体的に開示されていない,特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の数値を有するPVAフィルムから得られた偏光フィルムの性能の測定結果と,その測定データに基づき判断されるPVAフィルムの完溶温度(X)及び平衡膨潤度(Y)の数値と偏光フィルムの性能との関係を,本件出願後になって開示するものにほかならず,これを上記発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足するものとして参酌することは,上記アに説示したところに照らし,許されないというべきである。


 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。


(6) 以上検討したとおり,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された事項及び本件出願時の技術常識からは,従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し,耐久性及び偏光性能に優れ,かつ,製造時の安定性に優れた性能を有する偏光フィルムを製造するための手段として必要なPVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が式(I)及び式(II)の二式で示される範囲を画定することが可能であることを当業者において認識することができないから,上記発明の詳細な説明には,XとYとの関係が式(I)及び式(II)の二式で示される範囲にあるPVAフィルムを原反フィルムとして用いる偏光フィルムの製造法の発明が記載されているということはできない。


 他方,上記(2)のとおり,本件請求項1には,熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が式(I)及び式(II)の二式で示される範囲にあるPVAフィルムを原反フィルムとして用いる偏光フィルムの製造法の発明が記載されていることから,本件請求項1に係る本件発明1及びこれを引用する請求項2,3に係る本件発明2,3の特許請求の範囲の記載は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された発明の範囲を超えるものであるというほかはない。


 したがって,本件明細書の特許請求の範囲の記載は,明細書のサポート要件に適合しておらず,特許法旧36条5項1号の規定に違反するものというべきであるから,これと同旨の決定の判断に誤りはない。


(7)これに対し,原告は,本件出願時において,本件発明のようないわゆるパラメータ発明に関する特許出願については,明細書に実施例として根拠となるすべての実験データを記載することは要求されていなかったものであり,本件明細書が記載要件を具備しているか否かについては,本件出願の審査においては全く問題にならなかったのに,本件特許の出願後に定められた明細書の記載要件に関する特許・実用新案審査基準を遡及適用して,本件特許を本件明細書の記載不備のみを理由として取り消すことは極めて不合理であって許されないというべきである旨主張する。



ア しかしながら,本件明細書の特許請求の範囲の記載が,特許法旧36条5項1号所定の明細書のサポート要件に適合しているか否かは,特許法の当該規定の趣旨に則って判断されるべきであり,その規定の趣旨からすれば,本件発明のようないわゆるパラメータ発明についての明細書のサポート要件に関しては,上記(4)アのとおり解釈すべきである。


イ 特許・実用新案審査基準は,特許要件の審査に当たる審査官にとって基本的な考え方を示すものであり,出願人にとっては出願管理等の指標としても広く利用されているものではあるが,飽くまでも特許出願が特許法の規定する特許要件に適合しているか否かの特許庁の判断の公平性,合理性を担保するのに資する目的で作成された判断基準であって,行政手続法5条にいう「審査基準」として定められたものではなく(特許法195条の3により同条の規定は適用除外とされている。),法規範ではないから,本件特許の出願に適用される特許・実用新案審査基準に特許法の上記規定の解釈内容が具体的に基準として定められていたか否かは,上記(4)アの解釈を左右するものではない。


 また,平成15年10月改訂に係る特許・実用新案審査基準(甲11)では,明細書のサポート要件違反の類型の一つとして,「出願時の技術常識に照らしても,請求項に係る発明まで,発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない場合」を掲げ,更にその例示として,「機能・特性等を数値限定することにより物・・・を特定しようとする発明において,請求項に記載された数値範囲全体にわたる十分な数の具体例が示されておらず,しかも,発明の詳細な説明の他所の記載をみても,また,出願時の技術常識に照らしても,当該具体例から請求項に記載された数値範囲全体にまで拡張ないし一般化できるとはいえない場合」を掲げており,この具体的基準が特許法旧36条5項1号の規定の趣旨に沿うものであることは,上記(5)アの判示に照らして明らかであって,そうである以上,これをその特定の基準が適用される特許出願より前に出願がされた特許に係る明細書に遡及適用したのと同様の結果になるとしても,違法の問題は生じないというべきである。


ウ この点に関し,原告は,平成15年10月改訂に係る特許・実用新案審査基準は,現行特許法36条6項1号及び同項2号の解釈・運用基準であって,遡及して適用されるとしても,その対応規定が存在する平成6年改正法による改正後の特許法が適用となる平成7年1月1日以降にされた特許出願に限られるというべきである,本件発明は,特許請求の範囲の請求項に係る発明が,発明の詳細な説明に記載された発明と実質的に対応しており,また,特許・実用新案審査基準の,「発明の詳細な説明には,請求項に係る発明をどのように実施するかを示す『発明の実施の形態』」のうち特許出願人が最良と思うものを少なくとも一つ記載することが必要である」との内容とも合致している旨主張するが,以上の説示に照らし,採用することができない。



2 以上の次第で,本件明細書の特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合しておらず,特許法旧36条5項1号に違反するとした決定の判断の誤り(取消事由1)をいう原告の主張は,理由がないから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が同条4項に違反するとした決定の判断に誤りがあるか否かについて判断するまでもなく,原告主張の取消事由は理由がなく,他に決定を取り消すべき瑕疵は見当たらない。なお,上記第3の3??において注記したとおり,決定には法令の適用を誤った違法があるが,その違法が決定の結論に影響を及ぼすものでないことは明らかである。


 よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。  』

と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照して下さい。