●平成20(行ケ)10483 審決取消請求事件「ヘキサアミン化合物」(2)

Nbenrishi2009-11-13

 本日は、昨日に続いて、『平成20(行ケ)10483 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「ヘキサアミン化合物」平成21年11月11日 知的財産高等裁判所http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20091111165534.pdf)について取り上げます。


 本件では、取消事由1の、特許法第29条第2項の進歩性の判断と対比しての特許法第29条の2における「先願発明」が先願明細書等に記載されていたか否かについての判断も、参考になるかと思います。


 つまり、知財高裁(第1部 裁判長裁判官 塚原朋一、裁判官 東海林保、裁判官 矢口俊哉)は、

『3 取消事由1について

(1) 上記2のとおり,本件補正の却下に誤りがないことを前提として,被告のいう「先願発明」が先願明細書等に記載されていたか否かにつき検討することとする。


 なお,本来,「先願発明」が先願明細書等に記載されていたかのみを検討すれば足りるのであるが,当事者双方が,化合物「No.II-10」が先願明細書等に記載されていたか否かについても争っているため,この点につき,まず判断することとする。


(2) いわゆる化学物質の発明は,新規で,有用,すなわち産業上利用できる化学物質を提供することにその本質が存するから,その成立性が肯定されるためには,化学物質そのものが確認され,製造できるだけでは足りず,その有用性が明細書に開示されていることを必要とする。


 そして,化学物質の発明の成立のために必要な有用性があるというためには,用途発明で必要とされるような用途についての厳密な有用性が証明されることまでは必要としないが,一般に化学物質の発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識しているところである。


 したがって,化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを必要とする。


 なお,被告は,有機EL素子用化合物のような,単に化合物の物理化学的性質を利用する技術分野の化合物については,医薬,農薬,バイオ関連技術のような特殊な技術分野の場合と異なり,当業者が容易に作ることができる上,その有用性も推認できる可能性が高い旨主張する。


 しかし,このような「化学物質の用途,分野によって,その製造可能性や有用性が推認できる程度が異なる」旨の主張を前提としてもなお,本件で化学物質発明が問題となっている事実に変わりはなく,当業者がその製造可能性及び(有機EL素子用化合物としての)有用性を認識できる程度の開示が必要であることに変わりはない。


(3) そこで,本件について検討すると,前記1(2)のとおり,化合物No.II-10 については,先願明細書等の【請求項9】【化5】に一般式が記載されるとともに,【0104】【化37】に一般式が,【0105】【化38】に具体的な構造が,それぞれ示されている。そして,先願明細書等の【0263】ないし【0345】において,化合物No.I-1,No.II-1,No.VII-1,No.X-10,No.X-3 を用いた実施例(ここには,上記各化合物の製造方法についても記載されている。なお,化合物No.X-10,No.X-3 につき,具体的なデータの記載に乏しいとしても,実施例として記載されていることは否定できない。)が記載され,【0346】【0347】において,これらの化合物が,「融点やガラス転移温度が高く,その蒸着等により成膜される薄膜は,透明で室温以上でも安定なアモルファス状態を形成し,平滑で良好な膜質を示す。従って,バインダー樹脂を用いることなく,それ自体で薄膜化することができる。」「ムラのない均一な面発光が可能であり,高輝度が長時間に渡って安定して得られ,耐久性・信頼性に優れる。」との効果が記載されている。


 確かに,先願明細書等には,化合物No.II-10 それ自体の製造方法や,これを用いた実施例の記載はないが,先願の化合物一般につきウルマン反応によって得られることが記載されている(【0170】参照)上,前記1(3) カの各公報記載の事実からすれば,正孔輸送材料ないし電荷輸送材料として用いられる化合物の製造方法としてウルマン反応を用いることは,本願出願当時,周知技術であったというべきであって,化合物No.II-10 を製造する道筋は示されているといえる。


 また,同化合物の有機EL素子としての有用性についても,同化合物が,その構造上,実施例とされた化合物No.II-1 と,相当程度類似していること(先願明細書等に化合物No.II-10 の構造が具体的に記載されていることからすれば,ここで求められる類似性は,後述の,特許法29条の2の適用が問題となる場合とは自ずから異なるものである。)等からすれば,実施例の記載から,当業者に同化合物の有用性が認識できるものといえ,同化合物を用いた具体的な実施例の記載がないことは,上記結論に影響を及ぼすものではないというべきである。


(4) 他方で,「先願発明」の化合物については,先願明細書等の【化5】,【化16】で示された一般式に,抽象的には包含されるとしても,先願明細書等において,その構造につき具体的に記載されてはいない。


 そして,上記【化5】【化16】に関しては,複数の化合物の組み合わせを表現したものにすぎず,ある化合物が明細書等において開示されているというためには,たとえ表の中であっても,具体的な構造(「先願発明」の化合物に関しては,メチル基を置換基として有する具体的構造)が特定して開示される必要があるというべきである。


 なお,被告は,「同族列に所属する一連の化合物は,化学的性質が極めてよく似ていて,すべての化合物に共通の官能基に基づく同一の反応を示すから,化合物No.II-10 と『先願発明』の化合物も実質的に同視できる」旨主張するとともに,特許公報(乙4,5)の記載により,上記主張を補強している。


 しかし,前記1(3) ウのとおり,化学大辞典(乙3)において,同族列として脂肪族飽和炭化水素のメタン,エタンや,芳香族炭化水素ベンゼントルエン飽和脂肪酸のギ酸,酢酸などを例示しているが,これらの分子量の小さな化合物相互の関係と,本件での化合物No.II-10 と「先願発明」化合物のような分子量の大きな化合物相互の関係について,同一に扱ってよいかは不明というべきである。


 また,前記1(3) エ,オからすれば,乙4,5で開示された,それぞれ同族列の関係にある各化合物の化学的性質(有機EL素子としての性質を含む。)が類似していることが認められるが,これが直ちに,化合物No.II-10 と「先願発明」化合物の関係にも適用できるか明らかではない上,特許法29条2項の進歩性を判断する場合であれば格別,同法29条の2第1項により先願発明との同一性を判断するに当たっては,化合物双方が同族列の関係にあることをもって,一方の化合物の記載により他方の化合物が「記載されているに等しい」と解するのは相当ではない(前述のとおり,一般に化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところであるからである。)。


 このほか,被告は,「正孔注入輸送を司る本質的部位が分子中のN−フェニル基であること」は技術常識であって,同事実と先願明細書等の記載からすれば,「フェニル基を導入してビフェニル基にすることでπ共役系が広がり,キャリア移動に有利になり,正孔注入輸送能にも非常に優れる」旨主張している。


 確かに,前記1(3) ア,イのとおり,「正孔注入輸送を司る本質的部位が分子中のN−フェニル基である」旨の被告の主張に整合する文献(乙1,2)が存在するほか,先願明細書等には「分子中にN−フェニル基等の正孔注入輸送単位を多く含み,R 1 〜R4にフェニル基を導入してビフェニル基にすることでπ共役系が広がり,キャリア移動に有利になり,正孔注入輸送能にも非常に優れる」旨の記載がある(【0058】)。


 しかし,前述のとおり,特許法29条の2第1項による先願発明との同一性の判断は,同法29条2項の進歩性の判断とは異なるから,上記のような「公知技術」を安易に参酌して先願明細書等の記載を補充するのは相当ではなく,メチル基の有無を捨象して化合物No.II-10 と「先願発明」化合物を同視し,「先願発明」化合物が先願明細書等に実質的に記載されていたとみることは相当ではない。


(5) したがって,被告がいう「先願発明」化合物は先願明細書等に記載されておらず,また,記載されていたに等しいともいえないから,「先願発明」の化合物が先願明細書等に記載されていたに等しいとして特許法29条の2を適用した審決は誤りである。


4 以上のとおり,本願発明につき特許法29条の2を適用することはできないから,審決を取り消すこととする。』

 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照してください。