●平成19(行ケ)10361 審決取消請求事件 特許権「組換え核酸配列」

 本日は、『平成19(行ケ)10361 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「組換え核酸配列」平成20年09月17日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080918142556.pdf)について取上げます。


 本件は、拒絶審決の取消しを求めた審決取消訴訟で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、知財高裁における特許法第36条の実施可能要件と、サポート要件との判断が参考になるかと思います。
 

 つまり、知財高裁(第4部 裁判長裁判官 田中信義、裁判官 榎戸道也、裁判官 浅井憲)は、


2 取消事由1(特許法36条3項違反とした判断の誤り)について


(1) 特許法36条3項は,「発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない」と規定しているところ,その趣旨は,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,明細書及び図面に記載された事項と出願時の技術常識とに基づき,請求項に係る発明を容易に実施することができる程度に,発明の詳細な説明を記載しなければならないことを定めるものであり,当業者が最終的に発明を実施することができたとしても,そのために合理的に期待し得る程度を超えた試行錯誤を要する場合には,発明を容易に実施することができる程度の記載がないものとして,同項の要件を満たさないものと解するのが相当である。


(2) 前記1に認定したとおり,本願明細書には,本願発明に係る核酸塩基配列に関する記載はなく,段落【0026】に当該核酸をクローニングするための一般的手法が記載されているほかには,当該核酸がコードするALSの分子量,機能及びN末端の18個のアミノ酸配列が記載されているのみであり,審決は,本願明細書の記載は特許法36条3項に規定する実施可能要件を満たしていないと判断したが,原告は,段落【0026】には本願発明に係るALSをコードする組換え核酸を得るための周知技術が記載されていると主張するので,以下,検討する。


 ・・・省略・・・


イ 本願明細書の段落【0026】の記載は,その内容に照らすと,一般的クローニング法を概説的に記載したものであると認められ,一般的クローニング法を構成する各工程,すなわち,(a)ポリアデニル化mRNAを肝臓などの適当な細胞又は組織源から得る工程(上記ア?),(b)mRNAをcDNA合成の鋳型として使用する工程(同?),(c)cDNAクローンのライブラリーを作る工程(同?),(d)プローブとするオリゴヌクレオチドを用意する工程(同?)などが記載されているが,弁論の全趣旨によれば,これらの工程における具体的な実験条件,例えば,(b)の工程では,分解しやすいmRNAからcDNAを逆転写する際に逆転写プライマーとしてどのような配列のものを用いるのか,逆転写酵素として何を用いるのか,逆転写の条件(酵素の量,温度,インキュベート時間等),第1鎖cDNAを鋳型とし第2鎖cDNAを合成して2本鎖cDNAを合成する際の条件等について多くの選択肢が存在し,(c)の工程では,cDNAの末端に適当な制限酵素部位を導入するための手法(リンカー法やアダプター法)として何を選択するか,その際の条件,ベクターとして何を選択するか,ベクターとライゲーションする際の条件等について多くの選択肢が存在することが認められるが,本願明細書には,これらの具体的な実験条件については全く記載されていない。


 しかるに,上記(b)及び(c)のmRNAからcDNAライブラリーを作成する工程において,どのような実験条件を採用すれば,本願発明に係るALSをコードする全長cDNAライブラリーを作製することができるかについては,本願優先日当時の技術常識から明らかであったとの事実を認めるに足りる証拠はなく,また,どのような実験条件を採用しても本願発明に係る核酸を取得することができたといえる技術常識が存在したことを認めるに足りる証拠もない。


 ・・・省略・・・


エ 以上に説示したとおり,本願明細書の段落【0026】に記載された一般的クローニング法を用いて本願発明に係る核酸を取得するためには,クローニングの各工程において,多くの選択肢の中から具体的な実験条件を設定する必要があり,また,プローブについても極めて多数の選択肢の中からcDNAクローンの同定に成功するごく限られた数のプローブを設計する必要があることからすれば,当業者が本願発明を実施するためには,合理的に期待できる程度を超える試行錯誤を要するものと認められるから,上記段落【0026】には,過度の試行錯誤を要することなく本願発明に係るALSをコードする核酸を得るための周知技術が記載されているとは認められない。


(3) これに対し,原告は,本願優先日当時,縮重プローブやゲスマープローブの設計技術及びコドン使用頻度偏位はいずれも周知であり,コドン使用頻度偏位を考慮した縮重プローブやゲスマープローブの設計技術を用いれば,過度の実験を要することなく,タンパク質の一部の公知のアミノ酸配列から精度の高いプローブを合理的に設計・合成することができたと主張し,縮重プローブを用いたクローニングの実例(甲21の6〜9)及びゲスマープローブを用いたクローニングの実例(甲21の2,3,10及び11)を挙げるので,以下,この点について検討する。


ア 原告の主張する縮重プローブ(甲21の6〜9)やゲスマープローブ(甲21の2,3,10及び11)の設計技術及びコドン使用頻度偏位(甲21の2,3,5,11)が本願優先日当時,公知文献に記載されていたことは争いがないが,本願明細書にはそれらの技術事項が全く記載されておらず,公知文献に記載があるとしても,それをどのように利用して本願発明に係る核酸を得るかについての説明が本願明細書に記載されていないのであるから,公知文献が存在するからといって直ちに縮重プローブやゲスマープローブを用いて過度の試行錯誤を要することなく本願発明に係る核酸を得られたということはできない。


イ また,原告が援用する縮重プローブやゲスマープローブを用いたクローニングの実例が,いずれも当業者が過度の試行錯誤を要することなく,本願発明に係る核酸を得るために利用できたものとは認められないことは,以下に説示するとおりである。


 ・・・省略・・・


(4) 原告は,本願明細書の段落【0026】には「別法として,商業的に入手可能なヒト・ラムダライブラリーをオリゴヌクレオチドでスクリーニングできる。」と記載されており,対象から得たmRNAからcDNAライブラリーを作製する以外にも,本願優先日当時に市販されていたヒト・ラムダライブラリーから特異的プローブを用いてスクリーニングすることができることが記載されているから,本願発明に係る核酸のクローニングを行う際に具体的条件等を設定することは必ずしも必要ないと主張する。


 しかしながら,前記説示のとおり,cDNAライブラリーをスクリーニングするプローブの設計・合成については,極めて多数の選択肢からcDNAクローンの同定に成功するごく限られた数のプローブを設計する必要があることからすれば,当業者が本願発明を実施するためには,合理的に期待できる程度を超える試行錯誤を要するものと認められるから,原告の上記主張を採用することはできない。



(5) 原告は,セントラルドグマとハイブリダイゼーションに依拠する遺伝子工学では因果関係が確実であり,本願明細書の記載事項及び本願優先日当時の周知技術から本願発明に係るALSの全長cDNAを得るためにどのようにすべきかは明確であるから,本願明細書に一般的クローニング法しか記載されていないとしても,時間や手間はかかるが,一定の成功率で最終的には確実に発明を実施することができるといえると主張する。


 しかしながら,たとえ原告が主張するように,当業者が最終的には本願発明を実施することができるとしても,そのために当業者において合理的に期待できる程度を超える試行錯誤を要するとすれば,それはもはや特許法36条3項の規定する発明を容易に実施できる程度を超えるものというべきであり,前記説示のとおり,本願発明の実施には過度の試行錯誤を要するものと認められるのであるから,原告の上記主張を採用することはできない。


 以上によれば,甲第22号証のクローニングに失敗した実験に用いたプローブは,縮重プローブ及びゲスマープローブの設計技術を使用せずに任意に設計・合成されたものであり,本願優先日当時の周知技術を十分に適用して合理的に設計したものとはいえないとする原告の主張は,失当である。


 ・・・省略・・・


(7) 以上によれば,本願明細書の発明の詳細な説明には,当業者が容易にその実施をすることができる程度に,本願発明の構成が記載されていると認めることはできず,本件出願が特許法36条3項所定の要件を満たしていないとした審決の判断に誤りはない。


3 取消事由2(特許法36条4項1号違反とした判断の誤り)について


 原告は,本願明細書にALSをコードする核酸をクローニングした具体例の記載がないとしても,ALSの部分アミノ酸配列と,それをコードするcDNAのクローニングの一般的な手法を開示すれば,ALSをコードする全長cDNAを提供したも同然であるから,本願発明は発明の詳細な説明に記載したものではないとした審決の判断は誤りであると主張する。


 しかしながら,前記2で説示したとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,当業者が容易にその実施をすることができる程度に,本願発明の構成が記載されておらず,当業者が本願発明を実施するためには合理的に期待し得る程度を超える試行錯誤を要するものと認められるから,本願明細書の発明の詳細な説明の記載が本願発明に係るALSをコードする全長cDNAを提供したも同然であるとは到底認められない。


 したがって,原告の上記主張を採用することはできず,本件出願が特許法36条4項1号所定の要件を満たしていないとした審決の判断に誤りはない。


4 以上の次第であるから,審決取消事由はいずれも理由がなく,他に審決を違法とする事由もないから,審決は適法であり,本件請求は理由がない。


第6 結論

 よって,本件請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。 』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照してください。