●平成19(行ケ)10304 審決取消請求事件「シェーグレン症候群における

 本日は、『平成19(行ケ)10304 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「シェーグレン症候群における眼のアンドロゲン療法」平成20年08月06日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080807141732.pdf9)について取上げます。


 本件は、拒絶審決の取消を求めた審決取消訴訟で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、取消事由1の「(実施可能要件についての判断の誤り)について」の判断が参考になるかと思います。


 つまり、知財高裁(第4部 裁判長裁判官 石原直樹、裁判官 榎戸道也、裁判官 浅井憲)は、

1 取消事由1(実施可能要件についての判断の誤り)について

(1) 本願発明に係る実施可能要件について

ア 特許法36条4項は,「・・・発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と定めるところ,この規定にいう「実施」とは,本願発明のような物の発明の場合にあっては,当該発明に係る物の生産,使用等をいうものであるから,実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が当該発明に係る物を生産し,使用することができる程度のものでなければならない。


 そして,本願発明のようないわゆる医薬用途発明においては,一般に,当業者にとって,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該発明に係る医薬を当該用途に使用することができないから,そのような発明において実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明に,薬理データの記載又はこれと同視し得る程度の記載をすることなどにより,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を裏付ける記載を要するものと解するのが相当である。


イ なお,原告は,本件出願について,マウスにおいて実験不可能な涙腺への局所適用例の記載を要求し,かつ,ヒトの治験を通じて初めて分かる有効量の記載を要求することは,違法である旨主張するが,この主張が,上記アに説示したところと異なる趣旨をいうものであるとすれば,原告の独自の見解であるといわざるを得ず,失当である。


ウ そこで,以下,上記アの観点に立ち,まず,本願明細書の発明の詳細な説明に,本件有用性を裏付ける記載があるか否かにつき検討する。


(2) アンドロゲン等の有用性に関する本願明細書の発明の詳細な説明の記載及びこれに係る原告の主張の概要


ア 本願明細書に,審決が認定した各記載(前記第2の3(1)ア(ア)ないし(チ))があることは,当事者間に争いがないところ,これらによれば,本願明細書には,アンドロゲン等の有用性に関する薬理試験として,マウスを用いた全身投与の実験結果の記載があるのみであるといえる。


イ これに対し,原告は,種々の理由を挙げて,全身投与の実験結果の記載であっても,局所投与に係る本件有用性を裏付けるものである旨主張する。


ウ そこで,以下,原告の各主張に即して検討する。


(3) シェーグレン症候群による疾患の局所性について


ア 原告は,シェーグレン症候群による疾患自体は,現象的には,非常に局所的といえるものである旨主張し,そのことをもって,アンドロゲン等の眼に対する局所投与が有用であることを根拠付けようとする。


イ そこで検討するに,本件優先日当時の医学的知見を示すものとして提出された乙1辞典及び甲3辞典には,次の各記載がある。

 ・・・省略・・・

ウ 上記イの各記載によれば,シェーグレン症候群は,これによる具体的な障害(炎症)の好発部位を涙腺及び唾液腺とするものの,その実体は,自己抗体が産生されることによる自己免疫疾患であり,涙腺及び唾液腺以外の全身の外分泌腺に対する障害や,場合によっては関節症状をも引き起こす全身性の疾患であるといえる。


 本件優先日当時に認識されていた,このようなシェーグレン症候群の性質にかんがみれば,本願発明にいう乾性角結膜炎(これがシェーグレン症候群に基づく疾患を意味するものであることについては,当事者間に争いがない。)が,現象的には涙腺という局所の障害によるものであるとしても,そのことから直ちに,アンドロゲン等を眼に対して局所投与することの有用性が根拠付けられるとはいえない。


(4) アンドロゲン等による処置の涙腺特異性について


ア 原告は,本願明細書に,アンドロゲン等による処置が,シェーグレン症候群による病変箇所中,涙腺に対し特異的に効果を奏するものである旨の記載があると主張し,次の各記載を挙げる。


イ(ア) そこで検討するに,上記ア(ア)の記載は,テストステロン療法による効果が,下顎骨下の腺(これが唾液腺を意味するものであることについては,当事者間に争いがない。)に対するそれよりも,涙腺に対するそれのほうが大きかったことをいうものではあるが,同時に,「テストステロン療法はまた,下顎骨下の腺の免疫病変を顕著に減少させた」というのであるから,上記ア(ア)の記載をもって,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨をいうものであるとは認められない。


(イ) 上記ア(イ)の記載は,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的な効果を奏するとする理由として,(i)涙腺組織におけるアンドロゲン誘発免疫抑制が末梢リンパ節に及ばないこと,(ii)テストステロンは,下顎骨下の腺(唾液腺)の病変を減少させるが,唾液腺に対する効果は,涙腺に対する効果と異なること,(iii)アンドロゲンの涙腺に対する効果が必ずしも唾液腺又は全身組織に対して現れるものではないことを挙げるものである。


 しかしながら,上記(i)ないし(iii)は,いずれも,具体的なデータ等に基づくものではなく,発明の詳細な説明の末尾に番号を付して多数列挙した参考文献のリスト(それらの文献の記載内容の開示は一切ない。)の中から,該当する文献を,その番号を掲げることによって引用するものにすぎない。


 また,上記(ii)は,畢竟,上記ア(ア)の記載と同旨であると考えられるところ,これが,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨をいうものとは認められないことは,上記(ア)のとおりであるし,上記(iii)は,少なくとも唾液腺に関しては,上記ア(ア)の記載と齟齬するものであり,上記(iii)に係る記載に接した当業者にとって,アンドロゲン等による処置が涙腺に対して特異的に効果を奏するものと認識することができるものとはいえない。


 さらに,一般に,薬剤を全身投与した場合,臓器,器官等によって効果の現れ方に差異があるのは通常みられることであるところ,上記(i)ないし(iii)が,そのような薬剤の全身投与から通常生じ得る差異をいうものではなく,投与方法(全身投与)とは別の原因で涙腺に対する特異的な効果が生じたことについての具体的な理由を指摘するものであるとまで認めることはできない。


 そうすると,上記の程度の抽象的な理由の記載をもって,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨をいうものと認めることは,およそできないといわざるを得ない。


(ウ) したがって,原告の挙げる各記載によって,本願明細書に,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨の記載があるとは認められない。


(5) 全身投与と局所投与との関係について

ア 原告は,全身投与の実験例は,局所投与の実験例を包含している旨主張する(なお,被告は,原告の上記主張の趣旨が不明であると主張するが,少なくとも,原告が,上記主張により,全身投与の実験結果であっても,局所投与の有用性を裏付けるものであることを根拠付けようとしていることは認められる。)。


イ しかしながら,薬剤の全身投与においては,注射等により直接血管に注入され,あるいは消化器系を通じるなどして血液中に取り込まれた薬剤が,全身の血管系を循環し,全身の臓器,器官等を経由しつつ,標的とされる病変部位に到達するものであるから,そのような過程を経ない局所投与が,全身投与と本質的に異なるものであることは明らかである。


 また,とりわけ,シェーグレン症候群のような全身性の疾患においては,現実に症状が発現している具体的な部位以外の部位(全身性の疾患の根源と考えられる部位)に薬剤が到達することにより,当該薬剤の効果が生じるということも十分に考えられるところである。


 そうすると,シェーグレン症候群に基づく乾性角結膜炎について,全身投与において有用であった薬剤が,直ちに,局所投与においても有用であるということができないことは明らかであり,原告の上記主張は,失当である。


(6) 3つの基準について

ア3つの基準の合理性について

(ア) 原告は,全身投与の実験結果が3つの基準を満たす場合には,当該実験結果から,眼への局所投与においても十分な効果が期待され得ると考えることに合理性がある旨主張し,そのことを記載したものとして,本願明細書の次の部分を挙げる。

 ・・・省略・・・

(イ) しかしながら,本願明細書には,3つの基準がすべて満たされれば,全身投与の実験結果であっても,局所投与における有用性が示されたことになるとの知見を根拠付ける記載は全くなく,また,当該知見が本件優先日当時の当業者の技術常識であったものと認めるに足りる証拠もない。



 そうすると,3つの基準の充足性について検討するまでもなく,同基準に合理性があることを前提とする原告の主張には理由がないことになるが,以下,念のため,上記記載のいうように,3つの基準がすべて充足されることが本願明細書の記載上示されているといい得るか否かについて検討する。


イ 第2の基準(シェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑制するとのアンドロゲンの作用が,涙腺組織を標的とするものであること)について

(ア) 原告は,本願明細書中,前記(4)ア(ア)及び(イ)の各記載を挙げ,第2の基準を満足するとの記載がある旨主張する。
(イ) しかしながら,上記の各記載によって,本願明細書に,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨の記載があると認めることができないことは,前記(4)イのとおりであるから,これらの各記載をもって,第2の基準を充足することが示されていると認めることはできない。


ウ第3の基準(シェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑制するとのアンドロゲンの作用が,一般化された全身的な効果とは独立しているものであること)について


(ア) 原告は,本願明細書中,前記(4)ア(イ)の記載を挙げ,これが第3の基準を満足する旨の記載である旨主張する。


(イ) そこで検討するに,前記(4)イ(イ)のとおり,上記記載は,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的な効果を奏するものであること,その理由として,(i)涙腺組織におけるアンドロゲン誘発免疫抑制が末梢リンパ節に及ばないこと,(ii)テストステロンは,下顎骨下の腺(唾液腺)の病変を減少させるが,唾液腺に対する効果は,涙腺に対する効果と異なること,(iii)アンドロゲンの涙腺に対する効果が必ずしも唾液腺又は全身組織に対して現れるものではないことを挙げるものである。


 しかしながら,前記(4)イ(イ)のとおり,上記(i)ないし(iii)は,いずれも,具体的なデータ等に基づくものではなく,発明の詳細な説明の末尾に多数列挙した参考文献の中から,該当する文献の番号のみを引用するものにすぎない。


 また,前記(5)イのとおりの全身投与の性質に照らせば,全身投与の方法による実験の結果が,薬剤が全身の血管系を循環し,全身の臓器,器官等を経由することによる影響を一切受けていないものであるということは,通常考え難いところ,上記(i)ないし(iii)は,アンドロゲンの作用が,そのような影響を一切受けていないことについての具体的な理由を指摘するものではない。


 そうすると,上記の程度の抽象的な理由の記載をもって,アンドロゲンの作用が,一般化された全身的な効果とは独立している旨をいうものと認めることはおよそできないといわざるを得ない。


(ウ) なお,本願明細書には,次の記載がある。

「アンドロゲン作用はまた,一般的全身性の効果とは独立した組織特異的応答を示すようにみえ,したがって,眼への局所的な治療を正当化する。」(10頁下から7〜5行)


 しかしながら,上記(イ)において説示したところに照らせば,この程度の抽象的な記載をもって,アンドロゲンの作用が,一般化された全身的な効果とは独立していることが裏付けられているということはできない。


(エ) したがって,本願明細書に,第3の基準を充足することが示されていると
認めることはできない。


(7) テストステロンの肝臓非依存性について

ア 原告は,テストステロンは肝臓で代謝された活性代謝物により初めて効果を奏するというものではないため,全身投与による効果が確認されれば,局所投与においても同等の効果を奏するといえる旨主張する。


イ しかしながら,前記(5)イのとおりの全身投与の性質に照らせば,テストステロンが肝臓で代謝されることにより初めて効果を奏するものでないとしても,そのことから直ちに,全身投与による効果が確認されれば局所投与においても同等の効果を奏するということはできないから,原告の上記主張は,失当である。

(8) 小括


 以上のとおりであるから,アンドロゲン等の有用性に関する薬理試験として,マウスを用いた全身投与の実験結果の記載があるのみである本願明細書の発明の詳細な説明に,局所投与に係る本件有用性を裏付ける記載があるといえる旨の原告の各主張は,いずれも採用することができず,その他,本願明細書の発明の詳細な説明に,本件有用性を裏付ける記載があるものと認めるに足りる証拠はない。

 そうすると,本件有効量についての記載の有無について検討するまでもなく,本願明細書の発明の詳細な説明は,特許法36条4項に規定する実施可能要件を満たさないものといわざるを得ない。


 よって,取消事由1は,理由がない。

2 結論

 以上のとおり,取消事由1は理由がないから,取消事由2について判断するまでもなく,原告の請求は棄却されるべきである。 』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照してください。