●平成19(行ケ)10308 審決取消請求事件 特許権「被覆硬質部材」

 本日は、『平成19(行ケ)10308 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「被覆硬質部材」平成20年06月12日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080612154141.pdf)について取り上げます。


 本件は、特許無効審決の取消を求めた審決取消訴訟で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、明細書の記載の適法性,すなわち明細書に発明が特許法36条の規定に適合するように開示されているかの明細書のいわゆるサポート要件及び実施可能要件の適合性の有無が主な争点となっており、サポート要件の判断の際、知財高裁大合議事件である『平成17年(行ケ)第10042号 特許取消決定取消請求事件「偏光フィルムの製造法」平成17年11月11日 知的財産高等裁判所』(http://www.ip.courts.go.jp/documents/pdf/g_panel/10042.pdf)を引用して判断している点で、とても参考になる事案かと思います。


 つまり、知財高裁(第1部 裁判長裁判官 塚原朋一、裁判官 本多知成、裁判官 田中孝一)は、


1 取消事由1(旧36条5項1号違反の判断の誤り)について

(1) 本件明細書(平成14年10月17日付けで訂正後のもの。甲18の2の内容を乙19によって訂正したもの)には,以下のアないしサの記載がある。。

 ・・・省略・・・

(2) 上記(1)によれば,審決における認定判断(16頁17行〜17頁9行)のとおり,本件明細書には,?Ia値につき,従来,Ti,Zr,Hfの炭化物,窒化物,炭窒化物の皮膜の結晶配向性を制御することにより膜特性を向上させることができ,被覆硬質合金の耐摩耗性,耐欠損性は改善されるが(Ti,Al)N膜,については皮膜の結晶配向性について検討されたことはなく,皮膜と基体との密着性に問題があるところ,本件発明1は,この課題を解決するものであること,?硬質部材上にTiとTi以外の周期律表4a,5a,6a族,Alの中から選ばれる2元系,ないし3元系の炭化物,窒化物,炭窒化物を被覆させる場合において,皮膜の結晶配向性を最適にすることにより皮膜と基体との密着性を向上させ耐摩耗性,耐欠損性に優れた被覆硬質部材を提供することを発明の目的とするものであること,?本件明細書の請求項1に記載される構成を採択することにより,皮膜と基体との密着性を向上させた摩耗性に優れ格段に長い寿命の被覆硬質部材が得られたこと,?具体的には , 本件発明の実施例である膜質(Ti, Al) Nで被覆され ,皮膜のIa値が , それぞれ2. 3 〔本発明例7〕 , 2. 5 〔本発明例8〕, 3. 1 〔本発明例9〕及び2.7〔本発明例10〕 である各超硬工具については,皮膜と基体との密着性を向上させ,耐摩耗性に優れ格段に長い寿命のものであること,?そのIa値が本件発明1の数値を満たさない比較例である,膜質(Ti,Al)Nで被覆され,皮膜のIa値が,それぞれ1.2〔従来例1〕,0.9〔従来例2〕 ,1.1 〔従来例3〕 ,0.8〔比較例4〕 ,1.4〔比較例5〕及び1.0〔比較例6〕である各超硬工具については,皮膜と基体との密着性が十分でなく耐摩耗性に劣ること,が記載されているということができる。


 一方,本件明細書においては,当該被覆硬質部材の皮膜につきIa値を2.3以上とすることで,発明の課題を解決し発明の目的を達成することができることが,上記実施例の記載があることを除き,見当たらない。


(3)ところで,旧36条5項は「第3項4号の特許請求の範囲の記載は,次の各号に適合するものでなければならない。」と規定し,その1号において,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」と規定している(なお,平成6年法律第116号による改正により,同号は,同一文言のまま特許法36条6項1号として規定され,現在に至っている。以下,「明細書のサポート要件」という。)。


 特許制度は,発明を公開させることを前提に,当該発明に特許を付与して,一定期間その発明を業として独占的,排他的に実施することを保障し,もって,発明を奨励し,産業の発達に寄与することを趣旨とするものである。


 そして,ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は,本来,当該発明の技術内容を一般に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから,特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。旧36条5項1号の規定する明細書のサポート要件が,特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは,発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると,公開されていない発明について独占的,排他的な権利が発生することになり,一般公衆からその自由利用の利益を奪い,ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ,上記の特許制度の趣旨に反することになるからである。


 そして,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである(知財高裁平成17年(行ケ)第10042号同年11月11日判決参照)。


 以下,上記の観点に立って,本件について検討する。


(4) 本件発明1の課題は,上記(1)及び(2)のとおり(Ti,Al)N膜については,皮膜の結晶配向性について検討されたことはなく,皮膜と基体との密着性に問題があるところ,硬質部材上にTiとTi以外の周期律表4a,5a,6a族,Alの中から選ばれる2元系,ないし3元系の炭化物,窒化物,炭窒化物を被覆させる場合において,皮膜の結晶配向性を最適にすることにより皮膜と基体との密着性を向上させて耐摩耗性,耐欠損性に優れた被覆硬質部材の提供を目的とするところにあると認められ,当該被覆硬質部材の皮膜につきIa値を2.3以上とすることが同目的を達成するために有効であることが客観的に開示される必要があるというべきである。


 この点,本件発明の場合,これまで知られていなかった被覆硬質部材の皮膜におけるX線回折パターンにおけるI(200)とI(111)面の強度比に着目し,その比率であるIa=I(200)/I(111)と皮膜の強度・剥離特性の間に相関があることを見い出したものであり,その結果として,Ia値が2.3以上の皮膜が良い性能を持つとしたものであるが,何ゆえ,そのような値であると皮膜の特性が良くなるのかにつき,因果関係,メカニズムは一切記載されておらず,またそれが当業者にとって明らかなものといえるような証拠も見当たらない。


 また「Ia値が2.3以上」といえば,その数値が(200)面と(111) ,面の比をいうだけのものであるから,上限なく高い値の比が想定でき,かつ,その比の値に制限があるとする特段の事情も存在しないことから,当該Ia値の数値としては,2.3を大きく超える高い数値をも含み得るものであって,実際にも,原告作成の実験結果報告書(乙18)によれば,Ia値が10を超える値の被覆も存在することが示されている。


 これに対し,本件明細書では,Ia値について,本件発明の実施例として開示されたIa値は,上記(1)オの【表1】における本発明例7ないし10の2.3から3. 1まで,という非常に限られた範囲の4例だけであり,これらの実施例をもって上限の定まらないIa値2.3以上の全範囲にわたって,本件発明の課題を解決し目的を達成できることを裏付けているとは到底いうことができない。


(5) 以上述べたところに照らせば,本件明細書に接する当業者において,本件発明1に記載される構成を採択することによって皮膜と基体との密着性を向上させて耐摩耗性,耐欠損性に優れた被覆硬質部材を提供するとの課題を解決できると認識することは,本件出願時の技術常識を参酌しても,不可能というべきであり,本件明細書における本件発明1に関する記載が,明細書のサポート要件に適合するということはできない。


 そうすると,本件発明1の特許請求の範囲の記載を引用して構成される本件発明2についても,本件発明1と同様にサポート要件に適合していないと解すべきことになる。


(6) もっとも,原告は,通常,本件発明のような場合,実施例の数としては数例が一般的であり,それらにより発明の目的,課題解決の方向が示されておれば,実施例以外の箇所ではIa値の条件を満たされていることで十分当業者が理解できると考えられると主張する。


 確かに,数例の実施例によってもサポート要件違反とされない事例も存在するであろうが,そのような事例は,明細書の特許請求の範囲に記載された発明によって課題解決若しくは目的達成等が可能となる因果関係又はメカニズムが,明細書に開示されているか又は当業者にとって明らかであるなどの場合といえる。


 ところが,本件発明1の場合,上記のとおり,本件明細書には,何ゆえIa値が2.3以上であると皮膜の特性が良くなるのかにつき,因果関係,メカニズムは一切記載されておらず,また,それが当業者にとって明らかなものといえるような証拠も見当たらないものであるから,原告の上記主張は採用することはできない。


(7) また,原告は , 本件明細書においてIa値の上限の記載がないことにつき,実施例に裏付けられた結果から,より特性の向上する範囲が予測できる場合には,上限の限定をすることなく記載しても何ら不明瞭ではないので,明細書の記載不備には当たらない旨主張する。


 ・・・省略・・・


 しかしながら,本件明細書の記載からその上限は明らかではない。


 以上によれば,原告の上記主張は採用することができない。


(8) さらに,原告は,本件明細書には,スクラッチ試験機による臨界荷重値の評価結果より皮膜の密着性が向上していることが記載され,本件発明が異議の決定により特許された訂正明細書には本件発明が実施できる条件が記載されており,当業者であれば, この記載事項に基づいて追試可能なことは明らかである旨主張する。


 しかしながら,後記2のとおり,本件発明が当業者において容易に実施できるものであるとはいえないものである上に,実施例の範囲で追試が可能であることと,Ia値について上限の設定されていないことに起因する特許がその請求の範囲すべてで発明の課題等が解決可能かのように記載されていることは,別の問題である。


 また,原告主張に係る特許異議の決定(乙20)における判断が,本件審決及び本件訴訟の判断を何ら拘束するものではないことはいうまでもないところ,同異議申立手続においては,特許法29条1項3号,2項違反に該当するか否かが主たる争いとなっており,明細書の記載要件が直接的な争いとなっていたものでもないから(乙20) ,異議の決定において特許が維持されたことをもって上記判断に影響を与えるものとはいえない。


(9) したがって,本件明細書の特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合しておらず,旧36条5項1号に違反するとした審決の判断の誤り(取消事由1)をいう原告の主張は,理由がないことになる。


2 取消事由2(旧36条4項違反の判断の誤り)について

 さらに,念のため,原告が旧36条4項違反の判断の誤りをいう点についても検討する。


(1) 旧36条4項は「前項第3号の発明の詳細な説明には,その発明の属する,技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度にその発明の目的構成及び効果を記載しなければならないと規定する 。」(なお,現行の特許法においては,36条4項1号が明細書の発明の詳細な説明の記載につき,「経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が ,その実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること。」との要件に適合するものでなければならないことを規定しており,旧36条4項とほぼ同様の内容が規定されている。以下「実施可能要件」ということがある。)。


 ・・・省略・・・


(4) 以上によれば,本件明細書では,被覆硬質部材の製造条件として,皮膜組成の成分割合等のIa値にとって重要であるパラメータにつきその開示を欠くものであって,その記載に係る製造条件のみでは皮膜のIa値を決定又は特定することができず,所定のIa値を保有する皮膜を製造することができないものといわざるを得ない。


 したがって,TiとTi以外の周期律表4a,5a,6a族,Alの中から選ばれる2元系,ないし3元系の炭化物,窒化物,炭窒化物を被覆してなる被覆硬質部材の皮膜につき,そのIa値が2. 3以上であると規定する本件発明1については , 本件明細書に当該Ia値が2.3以上のものを得る上で特有の製造方法が記載されておらず,本件明細書の発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者 )が, 容易にその実施をすることができる程度にその発明の構成及び効果が記載されているということができず,旧36条4項に規定する要件を満たしていないことになる。


 また,本件発明1の特許請求の範囲の記載を引用して構成される本件発明2についても,本件発明1と同様に旧36条4項に規定する要件を満たしていないものと解すべきことになる。


(5) もっとも,原告は,本件発明は「製造方法」の発明ではなく,「物の発明」に係るものであり特有の製造方法は必要ないので,「本件明細書に当該Ia値が,2.3以上のものを得るうえで特有の製造方法が記載されていない」として,本件明細書には当業者が容易にその実施をすることができる程度に記載されていない,とした審決の判断は誤りである旨主張する。


 ところで,特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施について独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術内容を一般に開示する内容を記載しなければならないというべきであって,旧36条4項や現行特許法36条4項1号が前記のとおり規定するのは,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をできる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからである。


 そうであるから,物の発明については,その物をどのように作るかについて具体的な記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき当業者がその物を製造できる特段の事情のある場合を除き,発明の詳細な説明にその物の製造方法が具体的に記載されていなければ,実施可能要件を満たすものとはいえないことになる。


 したがって,本件発明は「物の発明」であるから「製造方法」の開示は必要がないとの原告の主張の見解は,正当ではないことになる。


(6) また,原告は,本件発明の「物」は,公知の方法で製造可能であって,前記審決で引用した公知例においても本件発明の「物」ができている場合もあり,本件発明は,既にあった物の中から,特定の技術的目的・効果を奏するもののみを選び出しているから,実施可能要件に違反しない旨主張する。


 しかしながら,前記(2)のとおり,アークイオンプレーティング技術においては,そのアークイオンプレーティングによる得られる皮膜の特性は(ガス)圧力P,イオン衝撃電力W,堆積速度R,サブストレート(基板)温度Tの各プロセスパラメータに依存して変位するものであるところ(乙21),本件明細書には,パラメータ選定に関する指針などの開示がないことから,当業者が,本件発明の条件に合う硬質被覆膜を得るには,膜の成形に関連する多数のパラメータの最適な値を探るために必要以上の試行錯誤を行わなければならないことになってしまうものであって,本件明細書には,本件発明が当業者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の構成及び効果が記載されているとする原告の主張は採用できない。


(7) さらに,原告は,本件発明は,発明を特定する技術的条件として特許請求の範囲に「Ia値が2.3以上」を規定しており,この条件を満たしている「物」でさえあればいいのであって,審決が無効とした理由のいずれもそれに該当するものではなく,公知の製造法でもできる「物」の発明である本件特許の無効理由として「特有の製造方法の記載がない」としてされた審決は「物」の発明である本件,特許の技術内容の把握を誤っており,それに基づいてされた判断は違法である旨主張する。


 しかしながら,上記(5)のとおり「物」の発明であっても,その「物」が容易に,製造可能なように明細書にその「製造方法」を示す必要があるものであるから,原告の上記主張は採用できない。


3 以上によれば,本件明細書の記載が,明細書のサポート要件に適合しておらず旧36条5項1号に違反し,また,実施可能要件に適合しておらず旧36条4項に違反するとの,審決の誤りをいう原告の主張は理由がないから,原告主張の取消事由はいずれも理由がないことになる。


 よって,原告の請求は上記いずれの見地からも棄却されるべきである。 』


 と判示されました。


  なお、被告は、「取消事由2(旧36条4項違反の判断の誤り)」にて、

 『しかしながら,「物」の発明の場合,その物を作ることができなければその発明を実施することができないことが明らかであり,その物を作ることができるように発明の詳細な説明に記載されていなければ,発明の詳細な説明の記載に実施可能要件違反の記載不備があることも明らかである(知財高裁平成17年(行ケ)第10205号平成18年2月16日判決参照。)』

 と反論されていますが、この知財高裁判決も確認しておきたいですね。


 詳細は、本判決文を参照してください。


 追伸;<気になった記事>

●『休眠特許、再生を支援 政府主導で官民共同ファンド設立』http://www.asahi.com/business/update/0615/TKY200806140333.html
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●『マイクロソフトの知られざる一面〜新興企業に寛大なライセンス提供』http://www.usfl.com/Daily/News/08/06/0612_004.asp?id=61473
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●『エコーネット規格が国際標準化規格として発行されることが決定!!』http://www.echonet.gr.jp/img/press080609.pdf