●平成18(ワ)6162特許権侵害差止等請求事件「無鉛はんだ合金」(1)

 本日は、『平成18(ワ)6162 特許権侵害差止等請求事件 特許権 民事訴訟「無鉛はんだ合金」平成20年03月03日 大阪地方裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080307150949.pdf)について取り上げます。


 本件は、特許権侵害差止等を請求し、その請求が棄却された事案で、判示部分に大阪地裁の考え方がとてもよく表れれている事件の一つかと思います。


 本件では、争点として、

(1)被告製品が本件発明の技術的範囲に属するか。

(2) 本件特許(請求項1及び4)は,特許無効審判において無効とされるべきものか(特許法104条の3の抗弁)
ア 特許法29条2項(進歩性要件)違反
イ 特許法36条4項(実施可能要件)違反
ウ 特許法36条6項1号(サポート要件)違反
エ 特許法36条6項2号(明確性要件)違反

(3) 損害額

の3つがあり、本件では、特に、サポート要件違反の判断が非常に参考になりますので、まずは、サポート要件違反の判断について取り上げます。


 つまり、大阪地裁(第26民事部 裁判長裁判官 山田知司、裁判官 高松宏之、裁判官 村上誠子)は、


3 争点(2)ウ(サポート要件違反)について

(1) 特許請求の範囲の記載が,特許法36条6項1号が定めるいわゆる明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである(知的財産高等裁判所平成17年(行ケ)第10042号同年11月11日特別部判決参照)。


 本件発明1は,前提事実記載のとおり,構成要件Aにおいて,「Cu0.3〜0.7重量%,Ni0.04〜0.1重量%,残部Snからなる」と成分組成を数値限定して特定し,構成要件Bにおいて,「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上したことを特徴とする」と合金の有する性質を特定している。そして,証拠(甲24及び26)によれば,前提事実記載の知的財産高等裁判所平成19年1月30日判決(最高裁判所同年6月22日上告不受理決定により確定)において,本件発明1は「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ものである点において,先願である特開平11−277290号公報記載の発明(以下「先願発明」という。)と同一であるということができないから同一の発明ではないとされていることが認められるが,そうだとすると「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことは,本件発明1と先願発明を区別する根拠となる構成要件であるということになる。


 またこの点に関し,原告は,「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」との発明特定事項について,本件発明1はいわゆる選択発明であって,上位概念で示された発明の効果とは異質な効果,または同質であるが際だって優れて効果を有し,これらが技術水準から当業者が予測できたものではないときは進歩性を有するとされていることから先願発明との相違が認められたものであると主張するが,そうだとすると「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことは,先願発明に対する本件発明1の進歩性を基礎付けるものとして構成要件となっているものということができる。いずれにしても、本件発明の構成要件Aで数値限定された具体的な各成分量の下において,先願発明とは異なり「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことは、先願発明と区別して本件発明1を特定するために必須の事項である。


 ところで、一般に合金の成分組成を特定しただけでは,それがどのような性質を有しているかを予測することは困難であることからすると,このような発明において,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明は,当該成分組成のはんだ合金が当該性質を有することが,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該成分組成であれば当該性質を有すると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するものと解するのが相当である。


(2) そこで,本件明細書の記載が,特許請求の範囲の請求項1の記載との関係で,明細書のサポート要件に適合するか否かについて検討する。


ア 前記1で認定したとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件発明においては,Snを主としてこれに少量のCuを加えるだけでなく,Niを所定量添加することにより,Sn−Cu金属間化合物の発生を抑制し,合金溶融時の溶湯の流動性が阻害されることを回避したとの趣旨が記載されている(前記1(2))。しかし,その成分組成を採用することにより得られる合金の性質を確認した具体例としては,?Cu0.6%,Ni0.1%,残部Snの合金のサンプルについての,溶融温度,比重,室温25℃雰囲気における引張強度,JIS−Z3197による広がり率,ヌレ性,接合強度,電気抵抗,クリープ強度,ヒートショック耐久性,マイグレーション及び銅食われ度,?その他,Snに加え,Cu,Ni及びGeを種々組み合わせた成分組成の5つのサンプルについての,融点(固相点及び液相点),強度及び伸び率が記載されているにすぎず,これらの試験はいずれも本件発明1の構成要件Aの成分組成を充足するはんだ合金が,構成要件B所定の「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」という性質を有することを確認したものではなく,その他に流動性が向上したことを確認した実施例の開示はない(本件において,流動性が向上したことの意味及びそれを確認するために採るべき試験方法には当事者間に争いがあるが,そのいずれの意味及び方法によるものも本件明細書に記載がない。なお,本件において流動性を確認するための試験方法が争点になっている原因には,このように実施例の記載が全く存しないこともあると思われる。)。


 そうすると,本件明細書においては,本件発明1の成分組成であれば構成要件Bの性質を有すると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載されているとはいえない。


イ 次に,本件明細書においては,Niを添加することがSn−Cu金属間化合物の発生を抑制する原理として,CuとNiが互いにあらゆる割合で溶け合う全固溶の関係にあるため,NiがSn−Cu金属間化合物の発生に相互作用をするということが記載されている(前記1(2)及び(3)ウ)。


 しかし,上記のような理論が技術常識として本件発明の特許出願時に一般的に承認されていたことを示す証拠は存しない。


 この点について,本件発明の特許出願前に公開された特開平7−116887号公開特許公報(乙6の2)には,次の記載がある。


 【0020】また,はんだ付けがディップ法の場合,主にSn−Pb共晶はんだが用いられるが,はんだ付け作業によりプリント基板のパッドであるCuがはんだ中へ溶解するため,通常Cuが0.2〜0.3重量%程度含有した状態で使用される。Sn−Pb系合金にCuが0.2〜0.3重量%含まれると,Cuを含有していない初期のはんだに比較し,耐疲労性が低下する。これは,はんだ中の過剰なCuがSnと金属間化合物を生成するためである。しかるに,Niを添加した合金では,Cuが0.2〜0.3重量%程度含有しても,その耐疲労性は低下することなくNiの効果を保持している。これは,Cu−Ni二元系状態図から分かるように,Cu−Ni系は全固溶型であるため液体状態でも固体状態でも溶け合い,金属間化合物を生成しない。このため,はんだ中の過剰なCuはNiと相溶し,はんだ中に分散するものと推察される。


 しかしこの記載は,Sn−Pb系合金についてのものであって,本件発明のようなSn−Cu系合金について述べるものではない。また,名古屋工業大学材料工学科名誉教授Y2の平成19年5月28日付意見書(乙37)においては,CuとNiが全固溶の関係にあることから,Niを添加することにより,Sn−Cu金属間化合物中のCuとNiが置換することは予測可能であるが,その場合であっても,Cu6Sn5の化学構造式が(Cu Ni 1−x x)6Sn5に変わるだけであって,Sn−Cu金属間化合物の基本的な性質に変化はなく,また発生したSn−Cu金属間化合物の量が変わるわけではないこと,またCuとNiが全固溶の関係にあることからすると,Sn−Cu合金にNiを添加しても,NiのSnに対する挙動はCuのSnに対する挙動と同じであり,NiによりSnとCuの結合反応が抑制されるとは考え難いとされている。


 さらに,クイーンズランド大学工学部上級研究員・大阪大学工学部工学研究科招聘助教授のY3の2006年6月6日付報告書(甲16)においては,ラゴーン法による実験において,Sn−Cu合金にNiを添加した場合に流動性が向上する結果となったことのメカニズムとして,Niを添加することによって凝固時に金属間化合物であるCu6Sn5中に選択的にNiが取り込まれ,Cu6Sn5固液界面エネルギー状態に変化を来たし,Cu6Sn5の晶出ないし発生が抑制されると考察しているが,それは「実験結果に対する個人的見解」として示されているにとどまり,また,同人の2007年4月30日付「意見書」(乙35)では,Niの添加により流動性が向上したメカニズムは,まだ明らかになっていないとされている。


 このように,本件発明の特許出願時ないし優先日当時において,Sn−Cu合金にNiを添加したときに,CuとNiが全固溶の関係にあることからSn−Cu金属間化合物の生成が抑制されるということが技術常識として一般的に承認されていなかったことからすると,本件明細書においてそのような理論が一般的に記載されたのみでは,本件発明1の成分組成であれば構成要件Bの性質を有すると,具体例の開示が全くなくとも当業者に理解できる程度に明細書に記載されているとはいえない。


ウ また,仮に本件明細書における上記イの記載から,Sn−Cu系合金においてNiを添加することにより金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上すると当業者が認識できたとしても,それは一般的なNi添加の効果について認識することができたというにすぎず,本件発明の構成要件Aで数値限定された具体的な各成分量の下において,実際にそのような性質を合金が有するのかという点については,実施例による確認が記載されていない以上,なお当業者が認識できる程度に記載されているとはいえない。


エ 以上の点について,原告は,前提事実記載の訂正審判手続において噴流試験法による流動性試験の結果を提出し(乙23の1添付資料),また前提事実記載の無効審判手続においても噴流試験法による流動性試験の結果を提出し(乙24の23),更に本件においてもラゴーン法による流動性試験の結果を提出している(甲16,17及び28)。


 しかしながら,上記のとおり特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明に,特許出願時の技術常識を参酌してみて,所定の成分組成のはんだ合金が所定の性質を有すると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要すると解するのは,当該成分組成を有する合金が当該性質を有することが単なる憶測ではなく,実験結果に裏付けられたものであることを明らかにしなければならないという趣旨を含むものである。


 そうであれば,発明の詳細な説明に,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に,具体例を開示せず,本件出願時の当業者の技術常識を参酌してもそのように認識することができないのに,特許出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することによって,明細書のサポート要件に適合させることは,発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないというべきである。


 したがって,上記原告提出に係る上記実験結果は,本件特許がサポート要件に違反するとの上記認定判断を左右するものではない。


(3) 以上からすると,本件発明1の特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するということはできず,そうである以上,本件発明4についても同様のことが妥当する。したがって,本件発明1及び4に係る本件特許は,特許法36条6項1号に違反してされたものであり,特許無効審判において無効とされるべきものである。


 なお,証拠(甲24)によれば,前記知的財産高等裁判所平成19年1月30日判決において,本件発明1についての特許は,特許法36条6項1号に違反するものでないと判断されていることが認められる。


 しかし,同証拠によれば,上記判断は,「本件発明1にいう『金属間化合物の発生を抑制し』,『流動性が向上した』との発明特定事項の具体的内容が不明であり,また両特性の因果関係が不明であるから,特許法36条4項,6項に違反する。」との同事件原告(無効審判請求人)の無効理由の主張に対して,「本件発明1の『金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した』の意味は明らかであって,当業者は,本件発明1を実施することができるから,本件発明1についての特許は,特許法第36条6項1号,2号に違反するものではない。」と判断されたものであって,本件の争点(2)ウにおいて被告が主張する上記無効理由と,同一の事実及び同一の証拠に基づくものとはいえないから,本件において,被告が主張する上記無効理由に基づいて,本件特許が特許無効審判において無効とされるべきものであると判断することが妨げられるわけではない。


4 まとめ

 上によれば,原告の本件請求は,その余について判断するまでもなく理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。  』


 と判示されました。


 本件も含め、知財高裁は、大合議の「偏光フィルムの製造方法事件」(http://www.ip.courts.go.jp/documents/pdf/g_panel/10042.pdf)以来、化学発明の明細書のサポート要件に関し、

発明の詳細な説明に,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に,具体例を開示せず,本件出願時の当業者の技術常識を参酌してもそのように認識することができないのに,特許出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することによって,明細書のサポート要件に適合させることは,発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないというべきである。

 という一貫した判断ですが、この判断について化学メーカや製薬メーカの知財部員の知り合いに聞くと、賛否両論ありますが、やはりどちらかというと「厳しい」という意見が多かったと思います。


 詳細は、本判決文を参照してください。