●昭和43(行ケ)132 特許権 行政訴訟「酢酸ビニルの製法事件」

  本日は、『昭和43(行ケ)132 特許権 行政訴訟「酢酸ビニルの製法事件」昭和52年01月27日 東京高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/2678661B3344D60449256A76002F88F2.pdf)について取上げます。


 本件は、化学反応の発明が完成したとするためには、予測可能な場合を除いて、明細書に実験が行われたことを証する資料が記載されていなければならないこと等を判示した事案です。


 つまり、東京高裁は、

『一 第一出願の内容に対する審理の当否について

 我が国に出願された第二出願について第一出願による優先権を主張することができるためには、第二出願の発明と実質的に同一と認められる発明が第一出願に記載されていることが必要であることはいうまでもない。


 したがって、この点を明らかにするためには第一出願が果して発明として完成しているかどうかまで審査することは許されて然るべきであり、そのための審査が我が国の特許法によって行われることは当然である。もとより、第一出願について登録が許されるかどうかは本国法によって判断されるけれども、それとこれとは混同すべきではないのである。


 審決が第一出願について発明の要旨が具体的に開示されているかどうかを我が国の特許法に基づいて判断していることは、もともと優先権の前提となる事実認定に属する事柄であって、前述のとおり我が国の特許法によるべきであり、審判の範囲を逸脱したものとはいえず、この点に関して審決に何ら違法のかどはない。


二 第一出願の発明の完成・未完成について

 第一出願の特許請求の範囲の記載に第二出願に本願特許請求の範囲として記載された発明の構成要件が含まれているが、具体的な反応成分の数値がその明細書に示されていないこと、すなわち実施例の記載がないことは、当事者間に争いがない。


 ところで、第一出願の明細書の記載から、当業者であれば目的とする発明が含んでいる反応を別紙1、2のような化学方程式で表わすことができることは当事者間に争いがない。


 原告はこれを根拠として第一出願の発明が未完成であるとするのは誤りであると主張する。しかしながら、化学方程式は現実に起り得る化学反応を記号を用いて書きあらわしたもので、反応成分にどのような原子の組みかえ、すなわち原子の配列の変更がおこり、どのような分子が形成されるかを示すものである。分子は、原子がそれぞれの原子価によって結合しているものであり、原子の価数は定まっているから、従来知られている反応を考慮すれば、化学反応を種々想定して、原料から所望の化合物を得るような過程を反応方程式ないし化学方程式として書くことは比較的容易である。しかし、このように想定しても、化学反応は現実に起るとは限らない。けだし、原料成分を混合することは人為的にできるが、その後の化学反応は自然法則によって進行するから、原子の組みかえを人為的に行わせることはできないからである。


 このように反応の化学方程式が示されても、果してそのとおり反応が進行するかどうかは、一般的には実際に実験して確認してみなければわからないのであって、化学が実験の科学といわれる所以もそこにある。


 したがって,化学反応の発明が完成したとするためには、たとえば公知化合物から公知の単純な反応でそれと類似の化合物を製造する方法のような予測可能な場合を除いて、一般的にはその化学反応の実在を裏付け、作用効果を確認しなければならないと考える。化学反応の実在を裏付け、その作用効果を確認するためには、実際にその反応を行なってみなければならず、発明を記述する明細書には、かような実験が行われたことを証する資料が記載されなければならない。


 実施例はそのための最も適切な資料であり、必ずしもそれに限定されるわけではないが、少くともこれに代り得るものがあることが必要である。本件についてみると、成立に争いのない甲第三号証の一、二によれば、第一出願の明細書には、実施例はもとより、実施例に代り得るもの、すなわち反応の実在を裏付け、作用効果を確認したと認められる記載を見出すことができない。


 原告は第一出願の明細書の記載から読みとれる前記化学方程式によって示される反応体のモル比と第二出願各実施例のモル比とをくらべると大きな差異はないから、当業者であれば前記化学方程式から第二出願実施例のように実施することは容易であると主張する。


 第二出願各実施例のモル比が別表4のとおりであることは当事者間に争いがなく、これらの実施例のモル比と第一出願の記載からも読みとれる本願発明の目的とする別表1の化学方程式によって示される反応体のモル比との間には大きな距りが認められる。


 原告はこの距りを埋めて、この化学方程式から容易に実施できる根拠として、(一)、成分の一方を過剰に使用することが化学常識である、(二)、溶剤として使用される場合は当然理論量より過剰に使用される、(三)、循環系の反応では化学量論的反応を行わなくてもよい、(四)、気体の混合物を使用する場合なるべく爆発範囲を避けるようにしなければならない、などの点を挙げる。しかしながら(一)、(二)、(三)の諸点は、いずれも当業者の一般的な常識であることは当事者間に争いがないが、極めて漠然とした条件であるから、このことによって実施上の原料仕込の特定数値が教示されていることにはならない。また(四)の爆発範囲を避ける点については、なるべくならば避けた方がよいと考えられるが、当事者間に争いのない爆発範囲二・七五容量パーセントから二八・六〇容量パーセントの外であればよいことになるから、教示される範囲は極めて広範であって、実施上の特定の数値を教示しているものとはいい難い。


 以上の検討からすると、第一出願の目する発明は、別紙1、2の化学方程式が書ける内容がふくまれ、原告のあげる諸点があつたとしても、その記載だけでは直ちに追試することができず、これを実施例など実験で、もしくは理論的に解明した記載・資料がない以上、着想の段階にとどまっているとするか、少くとも開示不十分というほかはない。


 発明について我が国の特許法はとりたてて完成・未完成の文言を使用していないけれども、産業上利用できる発明に対し独占的な権利を附与する法の性質上、特許附与の要件として発明が技術的見地からみて実施可能なこと、つまりは完成されていることを前提とすることはいうまでもない。


 ところで、優先権の基礎となる第一出願に対するわが国における審査としては、補正等の手段が許されようもないので、本件のように実施上の具体的な裏付けを欠き、少くとも発明の開示が不十分であるか、それとも着想の段階にとどまっているか明かでない場合には、一括して未完成発明として取扱うことはあえて不当とはいえないと考える。


 したがって第一出願の記載から発明が未完成であると認定した審決には何ら誤りはない。そうしてわが国における当該出願にかかる発明が完成された発明であり、優先権証明書添付の発明が未完成発明であれば両者は発明として同一性を有しないことは当事者間に争いがないから、審決が第一出願によって完成された発明である第二出願に対して優先権の主張を認めなかつた判断に違法のかどはない。


三 結論

 そうすると、本件審決には原告の主張するような判断の誤りはないから、原告の本訴請求は失当で、棄却せざるを得ない。よって、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条、上告のための附加期間の定めについて民事訴訟法第一五八条第二項を適用して、主文のとおり判決する。 』

 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照して下さい。