●平成18(行ケ)10227審決取消請求事件 特許権「シワ形成抑制剤」

 さて、今日は、『平成18(行ケ)10227 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「シワ形成抑制剤」平成18年11月29日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061201154533.pdf)について取り上げます。


 本件は、特許法29条1項3号による拒絶審決の取り消しを求めた審決取消し訴訟で、知財高裁は、本願発明の「シワ形成抑制」の用途と、引用発明の「美白化粧料組成物」とは用途が異なるので、新規性ありと判断し、その審決を取り消しました。


 ここで、本件補正後の特許請求の範囲は,

アスナロ又はその抽出物を有効成分とするシワ形成抑制剤。」

です。

 また、審決の理由の要点は,

「本願発明は,本願出願前に頒布された特開平5−345719号公報(甲3。公開日平成5年12月27日。以下「引用文献」という。)の請求項1

(「有効成分として,ヒノキ科植物(Cupress aceae)の成分であって,中間極性を有する有機溶媒,一価若しくは多価の低級アルコール,又はこれらの混合物に可溶性を示すものを含有することを特徴とする美白化粧料組成物」とするもの)

に記載された発明と同一であるから,特許法29条1項3号により特許を受けることができない。」

というものです。


 そして、知財高裁は、取消事由2(相違点の判断の誤り)について
「(1) 本願発明につき

 ア 本願明細書(甲1)の「発明の詳細な説明」には,前記2(1)の記載のほか,次の各記載がある。

 (ア) 「【従来の技術】肌は温湿度,紫外線,加齢,疾病,ストレス,食習慣等により微妙な影響を受け,そのため肌の諸機能の減退,肌の老化等,種々のトラブルが発生する。このため,特に近年においては,健康で美しい肌を保つことは老若男女を問わず重大な関心事となっている。」(段落【0002】)

「これらのうち,真皮のトラブルの一つであるシワは,加齢や太陽光線による皮膚の老化(光老化)により発生する。皮膚老化のメカニズムは明らかではないが,皮膚は生体の最外層に位置し,生体防御の最前線の役割を担っていることから,環境因子による障害の蓄積が皮膚加齢現象に大きく作用していると考えられる。とりわけ紫外線は,皮膚加齢やシワ形成に関与する最大の環境因子と考えられ,紫外線により産生される各種フリーラジカル(特にスーパーオキシド,ハイドロキシラジカル,一重項酸素等の活性酸素)は,日焼け等の急性炎症の原因となるのみならず,その産生が慢性的に繰り返されることにより光老化を誘発することが知られている。活性酸素は,真皮成分のDNA−蛋白クロスリンク(架橋結合),コラーゲンやエラスチンの蛋白クロスリンクの障害又は変性,SOD等の抗酸化酵素の不活化,細胞成分の膜脂質過酸化とその結果としての細胞機能の劣化などを惹起し,その結果,皮膚の老化やシワの形成を引き起こすと考えられている(フレグランスジャーナル, 11巻, 49-54, 1992)。」(段落【0003】)


 「そこで,これまでに,皮膚老化やシワの形成を予防し又は治療するために,ビタミンEのような抗酸化剤の利用(特開昭61-215309号公報,特開昭62-263110号公報等),各種植物抽出物の利用(特開昭62-61924号公報,特開昭63-174911号公報,特開平6-65043号公報等),コラーゲン等細胞外マトリクスの制御剤の利用(特開平4-74016号公報,特開平3-20206号公報等),レチノイン酸やα−ヒドロキシ酸の利用などが提案されている。」(段落【0004】)


 (イ) 「【発明が解決しようとする課題】しかしながら,これら従来の老化防止剤又はシワ予防剤はその効果が十分ではなかった。そこで,本発明の目的は,シワ形成抑制効果に優れたシワ形成抑制剤を提供することにある。」(段落【0005】)


 (ウ) 「【課題を解決するための手段】このような実状に鑑み,本発明者らは鋭意研究を行った結果,ヒノキ科植物のアスナロ(Thujopsisdolabrata)又はその抽出物が優れたシワ形成抑制作用を有することを見出し,本発明を完成した。」(段落【0006】)


「すなわち,本発明はアスナロ又はその抽出物を有効成分とするシワ形成抑制剤を提供するものである。」(段落【0007】)


 イ 本願の「特許請求の範囲」の「請求項1」の記載に,上記アの「発明の詳細な説明」の記載を総合すると,本願発明は,アスナロ又はその抽出物が優れたシワ形成抑制作用を有することを見い出したことによってなされた発明であって,「シワ形成抑制」という用途を限定した発明(用途発明)であると認められる。


 そして,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,その技術分野の出願時の技術常識を考慮し,新たな用途を提供したといえるのでなければ,発明の新規性は否定されるので,以下,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,新たな用途を提供したといえるかどうかという観点から判断する。


(2) 引用発明につき
 ア 引用文献には,以下の各記載がある。

 (ア) 特許請求の範囲

「【請求項1】有効成分として,ヒノキ科植物(Cupressaceae)の成分であって,中間極性を有する有機溶媒,一価若しくは多価の低級アルコール,又はこれらの混合物に可溶性を示すものを含有することを特徴とする美白化粧料組成物。」
「【請求項4】ヒノキ科植物が,アスナロ属(Thujopsis Sieb. etZucc.)に属する植物である請求項1記載の美白化粧料組成物。」
「【請求項5】アスナロ属に属する植物が,アスナロ(Thujopsisdolabrata Sieb. et Zucc.)である請求項4記載の美白化粧料組成物。」


 (イ) 発明の詳細な説明

 a 「【産業上の利用分野】本発明は,ヒノキ科植物(Cupressaceae)の成分を含有し,紫外線による皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着を消失し,又は予防するための美白化粧料組成物に関する。」(段落【0001】)


 b 「【従来の技術】従来,日焼け等の外界の刺激に起因して皮膚の表面に発生するシミ,ソバカス等を薄くする美白化粧料組成物としては,ビタミンC及びその誘導体,アルブチン,コウジ酸等のメラニン生成抑制物質を用いたものが知られていた。」(段落【0002】)


 c 「【発明が解決しようとする課題】本発明の目的は,…美白作用に対して強い活性を有し,しかも,安全性の点でも心配のない天然物系の美白化粧料組成物を提供することにあった。」(段落【0006】)


 d 「【課題を解決するための手段】本発明者らは,種々の植物抽出エキスについてメラニン産生抑制作用を指標として色素細胞の淡色化を検討した結果,ヒノキ科植物の成分のうちのある種のものが色素細胞に対し著しい白色化作用を有することを見出し本発明を完成するに至った。」(段落【0007】)


 イ 上記アの記載によると,引用文献には,皮膚に適用することにより,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防する美白化粧料組成物で,有効成分としてアスナロの枝葉のメタノール抽出エキスを含有するものが記載されていると認められる。


(3) 本願出願当時の技術常識につき

 ア 「シワ」

   ・・・

 イ 「美白」

   ・・・

 以上の事実によると,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」では,(ア) 「シワ」が,皮膚の張り,弾力性が喪失して皮膚に線状や襞状の溝が形成される現象であるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」が,皮膚にメラミン色素が沈着して褐色〜黒色に変化する現象であって,現象として異なること,(イ) 「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,いずれも紫外線暴露が原因の一つとなって起こるが,その機序は,「シワ」が,正常な弾性繊維とそれによる網状構造が変性し,異常な弾性組織が蓄積することによって起こるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,メラニン色素の沈着によって起こるものであって,機序が異なること,(ウ) 予防・治療法としては,紫外線の皮膚への吸収を防ぐもののように共通しているものがあるが,それ以外に多くの異なる予防・治療法があること,が認められる。


(4) 「シワ」は,上記(3)ウのとおり,現象もそれが生ずる機序も,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」とは異なり,また,上記(3)エのとおり,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料は,製品としても異なるものと認識されていたところ,引用発明は,上記(2)のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防する美白化粧料組成物であるから,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識する余地はなかったものと認められる。


 なお,上記(3)ウのとおり,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」の予防・治療法として,紫外線の皮膚への吸収を防ぐものなどのように,共通しているものがあるが,引用発明は,上記(2)のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防するものであるから,この点において,予防・治療法として,本願発明と共通するということはできない。


(5) 被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」も奏しているはずのものであり,「シワ形成抑制作用」のような作用は,視覚や触覚のような五感で容易に知得できる作用であるから,「美白化粧料組成物」を皮膚に適用・使用した場合に,その使用者が容易にその効果を実感できるものであることを理由として,本願発明につき格別新たな用途が生み出されたとすることはできないと主張する。


 しかし,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」を奏しているとしても,本願の出願までにその旨を記載した文献が認められないことからすると,「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない。


 また,被告は,乙号各証の記載を根拠として「需要者や当業者が美白作用を有する組成物について同時にシワ形成抑制作用を有すると期待することは当該分野の常識上ありえない。」との原告の主張は失当であると主張する。


 関根茂代表編集「化粧品ハンドブック」日光ケミカルズ株式会社ほか(平成8年11月1日発行。乙1)には,「乳酸」(469頁「表3・6」)や「アスコルビン酸リン酸エステルマグネシウム」(463頁右欄,465頁左欄)が,美白作用とシワ形成抑制作用とを併せ有している旨の記載がある。


 しかし,本願発明に係る「アスナロ又はその抽出物」とは異なる物質であって,そのような物質が美白作用とシワ形成抑制作用とを併せ有しているからといって,当業者が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められない。


 また,乙3〜5には,美白効果とシワ形成抑制効果とを併せ有している化粧料が掲載されているが,これらは,いずれも平成18年7月31日現在におけるホームページの記載である上,本願発明に係る「アスナロ又はその抽出物」とは異なる物質を有効成分とするものであるから,これらのホームページに美白効果とシワ形成抑制効果とを併せ有している化粧料が掲載されているからといって,当業者が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められない。


 さらに,被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」と本願発明の「シワ形成抑制剤」は,いずれも,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであって,「同じ効果を期待する使用者に対して用いられるものではない。」とする原告の主張は,失当であると主張する。しかし,「シワ」と「美白」が異なることは,前記(3)のとおりであって,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであるとの共通点があるからといって,当業者が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められない。


 したがって,被告の主張はいずれも採用することができない。


(6) これまで述べたところを総合すると,当業者が,本願出願当時,引用発明の「美白化粧料組成物」につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められず,本願発明の「シワ形成抑制」という用途は,引用発明の「美白化粧料組成物」とは異なる新たな用途を提供したということができる。


 したがって,取消事由2は理由がある。


4 よって,原告の請求を認容することとして,主文のとおり判決する。』

 と判示しました。


 なお、特許庁の「新規性・進歩性」の審査基準(http://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pdf/tjkijun_ii-2.pdf)の第7頁には、例6として、


「例6:「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」

「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が、角質層を軟化させ肌への水分吸収を促進するとの整肌についての属性に基づくものであり、一方、「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」が、体内物質Xの生成を促進するとの肌の改善についての未知の属性に基づくものであって、両者が表現上の用途限定の点で相違するとしても、両者がともに皮膚に外用するスキンケア化粧料として用いられるものであり、また、保湿効果を有する化粧料は、保湿によって肌のシワ等を改善して肌状態を整えるものであって、肌のシワ防止のためにも使用されることが、当該分野における常識である場合には、両者の用途を区別することができるとはいえない。したがって、両者に用途限定以外の点で差異がなければ、後者は前者により新規性が否定される。

と記載されています。