●『平成16(ワ)26092 特許権侵害差止請求事件 インクタンク事件 

 今日は、本日公表された『平成16(ワ)26092 特許権侵害差止請求事件 特許権 民事訴訟 平成18年10月18日 東京地方裁判所 』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061019094845.pdf)について取り上げます。


 本件は、セイコーエプソン社が、エコリカ社に対し、インクジェット記録装置用インクタンクの廃棄等の差止め等を求めた事件で、東京地裁は、その請求を棄却しました。


 本件では、キャノン社のインクカートリッジ事件のように消尽の問題は判断せず、本件分割出願が分割の要件を満たさず、出願日が分割出願日に繰り下がり、本件特許は特許法29条1項3号の規定に違反して特許されたものであるから,特許無効審判により無効にされるべきもので、104条の3第1項の規定により,本件特許権に基づく権利行使をすることはできない、と判断した分割の際の発明の同一性の判断の点で、興味のある判決であります。


 つまり、東京地裁は、
『1 本件については,事案の内容にかんがみ,本件分割出願の適法性(本件特許の出願日は平成12年12月21日となるか)のうち,まず,インク取り出し口の外縁がフィルムより外側に突出させた構成を含まないものも対象となるようにした点(争点(2)ア(ウ))について判断する。

(1) 本件原明細書の特許請求の範囲は,後記(2)のとおり「インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出している」構成が記載されていたが、甲第2号証及び弁論の全趣旨によれば,本件分割出願における特許請求の範囲からは同構成が削除されていることが認められる。ところで,分割出願が行われた場合,新たな特許出願(分割出願)はもとの特許出願(原出願)の時にしたものとみなされる(特許法44条)ところ,このように出願日の遡及が認められるためには,分割出願に係る発明がその原出願の願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものであるか,同明細書等に記載した事項から自明な事項であることを要するといわなければならない。そこで,本件分割出願において上記構成が削除されたことが適法であるかが問題となる。

(2) 本件原明細書には,以下の記載があることが認められる(乙6)。

ア 特許請求の範囲
(ア) 【請求項1】
「インクジェット記録装置において,記録ヘッドと該記録ヘッドにインクを供給するインクタンクと,該インクタンクからインクを抽出するインク供給針と,前記インクタンクのインク取り出し口に配されたフィルムと,該フィルムと前記インク取り出し口間で保持した供給針シール部材を具備し,前記インク供給針の先端に少なくとも1個の微小径からなるインク供給孔を設け,前記インク取り出し口の外縁がフィルムより外側に突出していることを特徴とするインクジェット記録装置」。

(イ) 【請求項2】
「インク取り出し口外縁の最大内径あるいは最長対角線長さをdとすると,
  (インク取り出し口外縁の突出量)≧d/10
 であることを特徴とする請求項1記載のインクジェット記録装置」。

(ウ) 【請求項3】
「インク取り出し口に配したフィルムに薄膜を用いたことを特徴とする請求項1記載のインクジェット記録装置」。



(3) 前記(2)によれば,本件原明細書には,インクジェット記録装置について,従来技術では,(i)インク供給針のインク供給孔が1mm程度と大きかったことから,メニスカスの体積が大きく,インクタンクの交換時に記録ヘッドに侵入する気泡の量が多く,これが印字不良を発生させる要因となっていた,(ii)インク取り出し口を封止する部材はゴム栓であったため,インク供給針の先端は,ゴム栓を貫通できるよう鋭く加工されており危険であった,という二つの課題があったところ,本件原当初発明は,(i)の課題については,インク供給孔を微小径とすることにより解決し,(ii)の課題については,インク取り出し口を封止する部材を,先端が鋭くないインク供給針でも貫通できるフィルムとすることにより解決したことが記載されている。


 そして,本件原明細書からは,上記(ii)の課題解決のための対応,すなわち,インク取り出し口を封止する部材を厚さの薄いフィルムとしたことにより,新たに,インク供給針をフィルムに挿通した後のインクの漏れ出しの問題のほか,使用者の過誤により当該フィルムが破れる危険性があるという問題が生じることが示されており(本件原明細書には,フィルムが伸びてインク供給針とパッキンとの間に入り込むことにより,インクタンクとインク供給針との間のシール不良が生じることが考えられ,これを防止するため,フィルムをより薄く,伸びにくいものにして,フィルムが伸びてインク供給針とパッキンとの間に入り込む前に確実に破れるようにするのが好ましいこと,このようにフィルムを薄くした場合,フィルムの保護の必要性がより強まるが,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させる構成とすることにより,上記目的を達成できること,インクタンクが40℃を超えるような場所に放置され,インクタンクが熱くなっているときでも,フィルムが伸びてインク供給針とパッキンとの間に入り込み隙間が形成されるというシール不良が生じないように,より薄く伸びにくいフィルムを用いる方法が記載されているところ,このようにフィルムをより薄くした場合は,フィルムが破れる危険性という上記問題点はより大きなものとなる。)、フィルムが破れる危険性という後者の問題は, 本件原明細書では,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させる構成を採用することにより解決されたことが示されている。


 さらに,本件原明細書には,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させた構成の意義,効用及び実施例について,上記の点のほかに上記構成にすることにより,他部品を用いることのない単純な構造でフィルムを保護することができ,低コスト化が図れること,インク取り出し口外縁の突出量は,インク取り出し口外縁の最大内径の10分の1以上,4分の1以下とすることが好ましいことが記載されている。


 本件原明細書の以上の記載からすると,本件原明細書は,インク取り出し口を封止する部材をフィルムとすると,そのままでは使用者の過誤によりフィルムが破損される危険性があることを前提としているものと認められる。

 また,本件原明細書には,使用者の過誤によるフィルムの破損の危険性は,本件原当初発明の実施にとって支障とはならないという趣旨の説明は一切なく,上記の危険性を除去することは本件原当初発明にとって極めて重要であるということができる。


 本件原明細書では,この危険性を除去するために,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させるという構成を採用したことが記載されているが,同構成以外の構成については一切記載がなく,前記(2)のとおり,本件原当初発明の実施例である本件原出願の図面にも,インク取り出し口の外縁がフィルムの接着面よりも突出した構成のインクタンクのみが図示されており,インク取り出し口がフィルムの接着面よりも突出していない構成のインクカートリッジはどこにも開示されていない(なお,図6では,インク取り出し口の外縁にフィルムが接着されているが,前記(2)によれば,図6の実施例は,インク取り出し口の外縁がフィルムの接着面よりも突出した構成のインクタンクにおいて,より確実にフィルムを保護するためにインク取り出し口の外縁に更にフィルムを接着させたものであることが認められ,インク取り出し口の内側のフィルムの存在を当然の前提として,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させた構成を示すものであるといえる。)。


 そうすると,本件原明細書における本件原当初発明にとって,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させる構成は,不可欠のものであるとともに,インク取り出し口の封止部材をフィルムにする構成と一体としてとらえるべきものであると解するのが相当である。


 そして,上記のとおり,本件原明細書及び図面には,本件原当初発明において,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させていない構成を採用することは一切記載されておらず,上記判示内容からすれば,その示唆もないというべきであり,また,本件原明細書及び図面において上記構成を採用しないことが自明の事項であると認めることもできない。


(4) これに対し,原告は,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させるという構成は,フィルムを保護するという目的のために採用されたものであり,本件原当初発明の本来の目的を達成させるための構成ではないから,付加的な構成にすぎず,同構成を削除したことにより分割出願が不適法となることはない旨主張する。


 確かに,前記(3)のとおり,本件原当初発明の目的は,(i)インクタンクの交換時に記録ヘッドに侵入する気泡の量が多かったこと,(ii)インク供給針の先端が鋭く加工されており危険であったこと,という課題を解決するものであるが,本件原当初発明は,(ii)の目的を達成するために,インク取り出し口を封止する部材を,先端が鋭くないインク供給針でも貫通できるフィルムとしたのであり,このことから,必然的に当該フィルムの保護の問題が生じた以上,フィルムを保護するための構成が本件原当初発明の目的達成のための構成ではないということはできない。

 そして,本件原明細書において,インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させた構成が本件原当初発明にとって不可欠のものであると見なしていたことは,前記(3)で判示したとおりである。

 したがって,原告の上記主張は理由がない。

 (5) そうすると,本件分割出願は,平成6年法律第116号改正前特許法44条1項の分割要件を満たしているとは認められない不適法なものであるから,出願日の遡及は認められず,本件特許の出願日は現実の出願日となる。』

と判断しました。


 原当初明細書には、『インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させた』構成を有しないことは明記されていないし、原当初明細書に記載された発明の課題や目的等から発明の一体性を判断し、分割出願に係る発明が原当初明細書に記載されていない、すなわち原当初明細に記載されている発明の課題や目的等からして、『インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させた』構成を有する発明が原当初明細書に記載されているのであって、『インク取り出し口の外縁をフィルムより外側に突出させた』構成を有しない発明は原当初明細書に記載されていないと判断しており、まだ詳細に原当初明細書を検討していませんが、判決文を読んだ限りでは、過去の判例と同様の判断であり、妥当な判断であると思います。


 よって、この判決からも、明細書を作成する際、発明の目的や課題等の記載も十分に注意する必要があることがわかります。