●進歩性(1)『平成17(行ケ)10091 特許取消決定取消請求事件』

 以前抽出しておいた、特許庁の進歩性なしの判断が知財高裁において取消された判決例について、少しずつコメントしていきたいと思います。これにより、知財高裁における進歩性の判断が少しでも分ればと、思います。


 まずは、『平成17(行ケ)10091 特許取消決定取消請求事件 H17.4.12 「回路接続用フィルム状接着剤及び回路板」(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/00E8E396586BFFF94925710E00099E04.pdf)』についてコメントします。


 本事件は、「回路接続用フィルム状接着剤及び回路板」とする特許第3342703号につき特許異議の申立てがされ,原告が訂正の請求をしたところ、特許庁は、「訂正を認める。特許第3342703号の請求項1,2,4,5,7ないし9に係る特許を取り消す。同請求項3,6に係る特許を維持する。」との決定をし、その取消決定が取消された事案です。

 なお、訂正に係る特許請求の範囲の【請求項1】は、以下の通りです。

【請求項1】
 相対峙する回路電極を加熱,加圧によって,加圧方向の電極間を電気的に接続する加熱接着性接着剤において,その接着剤には0.2〜15体積%の導電粒子が分散されており,引っ張りモード,周波数10Hz,昇温5℃/minで動的粘弾性測定器で測定した,その接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPaであることを特徴とする回路接続用フィルム状接着剤。


 そして、原告が本訴において、取消し事由1,2,3を求めると、知財高裁は、

『1 取消事由1(本件発明1と引用発明との相違点の判断の誤り)について
(1) 決定は,本件発明1と引用発明との相違点として認定した,「本件請求項1に係る発明(注,本件発明1)では,『引っ張りモード,周波数10Hz,昇温5℃/minで動的粘弾性測定器で測定した,その接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPa』であるのに対し,刊行物Aには,当該弾性率に関する構成が明記されていない点」(決定謄本7頁下から第2段落)について,「周知例1より,通常のエポキシ樹脂の弾性率が2000〜3000MPaであると推測できるから,これにアクリルゴムを加えることによる低下分(特許請求の範囲では何ら配合比を限定していない)を考慮すると100〜2000MPaの数値は当業者であれば充分に予測可能な数値であるとともに,この数値を得るに何ら困難なことはないのであるから,刊行物Aに示された組成物の配合を変え該100〜2000MPaの数値範囲とすることは,当業者なら容易に為し得ることといわざるを得ない」(同頁最終段落〜8頁第1段落)と判断した。

 これに対し,原告は,仮に,樹脂の弾性率を適宜調整することが可能であったとしても,弾性率が調整された樹脂を本件接着剤に適用したときに格別の効果が得られることは,本件出願当時,当業者が容易に予測できたことではなく,信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離といった問題に対処するために,導電粒子を含有させた状態で,「接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPa」となる加熱接着性接着剤を適用すればよいということは,本件出願当時,当業者が容易に想到することができるものではないとして,決定の上記判断は誤りである旨主張する。

(2) まず,相違点に係る本件発明1の構成,すなわち,「引っ張りモード,周波数10Hz,昇温5℃/minで動的粘弾性測定器で測定した,その接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPa」との構成の有する技術的意義についてみると,訂正明細書(甲2添付)には,以下の事項が記載されている。

・・・

 以上の記載によれば,相違点に係る本件発明1の構成は,本件接着剤,すなわち,「相対峙する回路電極を加熱,加圧によって,加圧方向の電極間を電気的に接続する加熱接着性接着剤」の接着後(硬化物)の弾性率が大きすぎると,信頼性試験の際,接続基板の熱膨張率差に基づく内部応力により,接続抵抗の増大,電気的導通の不良,接着剤の剥離の問題が生じ(上記ア,オ),他方,弾性率が小さすぎると,溶融粘度の上昇に起因する接着剤の排除性低下のために電気的導通の不良の問題が生じる(上記ウ,オ)ことから,これらの問題を解決し,実際に,信頼性試験において生じる内部応力を吸収し,信頼性試験後においても接続部での接続抵抗の増大や接着剤の剥離がなく,接続信頼性が向上するという効果を奏する(上記エ,オ)という点で,技術的意義を有するものであると理解される。

(3) 上記(2)のとおり,相違点に係る本件発明1の構成において規定された弾性率の数値範囲は,その上限値及び下限値の双方において,特定の課題を解決し,所期の効果を奏するという技術的意義があり,その意味で,当該弾性率の数値範囲は,上記特定の課題及び効果との関係において最適化されたものであるとみることができる。
 そうとすれば,当業者が相違点に係る本件発明1の構成を容易に想到し得たというためには,単に,「この程度の動的弾性率を得ることは,当業者ならば必要性さえあれば誰でもできることと認められる」(決定謄本9頁第3段落)というだけでは足りず,本件接着剤の接着後における弾性率と,上記特定の課題の解決や特定の効果の発現との間に関連性があることを,当業者が容易に想到し得たことが必要であるというべきである。

(4) この点について,被告は,乙1CD−ROM,乙2CD−ROM,乙3公報〜乙6公報,特に,乙2CD−ROMにおいて,「導電性接着剤は,硬化後においても適度の弾性を有する」(段落【0009】)とされていることからも明らかなとおり,適度の弾性を有する樹脂を導電性接着剤に適用することは,当該技術分野における常とう手段であり,その結果として,乙1CD−ROMにいう,基板と接続用電極間の「良好な接続状態を保持できる」(5頁下から第5段落)こと,すなわち,信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得ることは,当業者にとって周知の事項であったとし,さらに,信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得るという作用効果が生じることも,上記周知事項から容易に予測できる程度のことである旨主張する。

 そこで検討すると,乙1CD−ROM,乙2CD−ROM,乙3公報〜乙6公報には,以下のような記載がある。

・・・

 以上のとおり,乙3公報を除く,乙1CD−ROM,乙2CD−ROM,乙4公報〜乙6公報のいずれもが,接着剤の弾性の点に言及していることからすれば,電子部品の接続に際し,適度の弾性を有する樹脂を導電性接着剤として使用することは,その限りであれば,確かに,被告の主張するとおり,当該技術分野における常とう手段であったものと認めることができる。

 ところで,被告は,上記のとおり,乙1CD−ROM記載の「金属基板1と接続用電極3間の良好な接続状態を保持できる」との効果が,適度の弾性を有する樹脂を導電性接着剤に適用することによって得られるものであり,かつ,当該効果が,本件発明1にいう信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得る効果と同義であるかのような主張をしている。

 しかしながら,乙1CD−ROMの上記アの記載によれば,そこでいう「良好な接続状態を保持できる」という効果は,導電性接着剤の弾性のみならず,「凹所9内に導電性接着剤10が充填されているということと,導電性接着剤10も含め電気絶縁樹脂層6で被覆していることも加わって」奏されるものであることが明らかである上,乙1CD−ROMにおいて抽象的に「良好な接続状態を保持できる」と記載された効果が,本件発明1における信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得るという具体的に特定された課題ないし効果と同義であるとみるべき根拠も格別見当たらないというほかはない。

 そうすると,乙1CD−ROMを根拠に,基板と接続用電極間の「良好な接続状態を保持できる」こと,すなわち,信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得ることが当業者にとって周知の事項であったとする被告の当該主張は採用することができず,そうである以上,信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得るという作用効果が上記周知事項から容易に予測できる程度のことであるとする被告の主張も,採用の限りではないというべきである。

 更にいえば,本件発明1については,上記(2)のとおり,本件接着剤の接着剤の弾性率を大きすぎないものとすることにより,信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得るという上記の作用効果のみならず,本件接着剤の接着後の弾性率を小さすぎないものとすることによって,溶融粘度の上昇に起因する接着剤の排除性低下のために電気的導通の不良が生じるという課題を解決するとの作用効果をも有するものと認められる。この点について,被告は,弾性率の上限値(2000MPa)を設定することによる前者の作用効果が予測可能であったことは主張するものの,弾性率の下限値(100MPa)を設定することによる後者の作用効果が予測可能なものであったことについては何ら主張するところはなく,本訴において被告が提出した乙1CD−ROM,乙2CD−ROM,乙3公報〜乙6公報の記載を考慮しても,後者の効果につき,当業者が予測可能であったことを認めるに足りる証拠はないというほかはない。

(5) 上記(3)のとおり,当業者が相違点に係る本件発明1の構成を容易に想到し得たというためには,本件接着剤の接着後における弾性率が,本件発明1における特定の課題の解決や効果の発現と関連性を有することを,当業者が容易に想到し得たことが必要であるというべきところ,決定の引用する刊行物A(甲5)及び周知例1(甲12)に加え,本訴において被告の援用する乙1CD−ROM,乙2CD−ROM,乙3公報〜乙6公報の記載を考慮しても,そうした関連性の存在が,本件出願当時,当業者にとって周知の事項であったと認めるに足りないことは,上記(4)のとおりである。

 そうとすれば,決定は,上記関連性の点を何ら明らかにしないまま,相違点に係る本件発明1の構成の容易想到性を肯定したものであって,その論理付けには,結論に影響を及ぼすべき誤りがあるものといわざるを得ないから,原告の取消事由1の主張は理由がある。

2 取消事由2(本件発明2,4,5,7〜9の進歩性の判断の誤り)について
 上記1のとおり,本件発明1の進歩性に関する決定の判断が誤りである以上,これを前提とする本件発明2,4,5,7〜9の進歩性に関する決定の判断も誤りである。
 したがって,原告の取消事由2の主張は理由がある。

3 以上のとおり,原告主張の取消事由1及び2はいずれも理由があるから,原告主張の取消事由3について判断するまでもなく,決定中,特許第3342703号の請求項1,2,4,5,7ないし9に係る特許を取り消すとの部分は,違法として取消しを免れない。
 よって,原告の請求は理由があるから認容し,主文のとおり判決する。』(以上、本判決文より抜粋。)


と判示しました。


 つまり、本事件では、本発明の『引っ張りモード,周波数10Hz,昇温5℃/minで動的粘弾性測定器で測定した,その接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPa』における弾性率の数値範囲が,上限値及び下限値の双方において,本発明の特定の課題を解決し,所期の効果を奏するという技術的意義があり,当業者が相違点に係る本件発明1の構成を容易に想到し得たというためには,単に,「この程度の動的弾性率を得ることは,当業者ならば必要性さえあれば誰でもできることと認められる」というだけでは足りず,本件接着剤の接着後における弾性率の上限値及び下限値の双方と,上記特定の課題の解決や特定の効果との間に関連性があることを,当業者が容易に想到し得たことが必要であるというべきで、特許庁は,その弾性率の下限値(100MPa)を設定することによる後者の作用効果が予測可能なものであったことについては何ら示さなかった以上,進歩性なしとした取消決定の判断を誤りと判断したようです。


 尚、本事件の裁判長は、知財高裁所長の篠原勝美さんです。