●『ビッグ対談:放送・通信融合を語る!(3)(4)』

今日は、昨日の続きで、「ビッグ対談:放送・通信融合を語る!(3)(4)」。


『ビッグ対談:放送・通信融合を語る!(3)』(http://wbb.forum.impressrd.jp/feature/20060731/179)では、「放送・通信融合時代の制度的・政策的な課題は何か?」がテーマ。

 
 その中で、

『【4】通信の自由化は、インターネットでリアリティをもった!

 村井 全くそのとおりですね。ただ、1985年の通信の自由化というのは、制度的には革命的でしたが、結局インターネットが出てくるまでリアリティがなかった。通信が開放されると「こうなる!」という開放後の具体的なイメージは、90年の初頭に草の根的なインターネットが登場するまで実感できませんでした。

 このように、インターネットという従来とまったく異なる形の通信のイノベーションによって、リアリティがもてるまでに7〜8年かかっています。そのきっかけとなったのも、さまざまな分野でのデジタル化でした。

 ですから制度的には、もう少しいろいろな検討の機会をもっと前に作っておけばよかったと思います。実際にはその努力をしてきたつもりでしょうが、背景には、国における制度・政策上からの抵抗感、あるいは放送業界の壁のようなものがありました。結果として、実態的にはその壁や抵抗感を破れないということだったのです。

 実際、とくに放送側からの通信(インターネット)に対する警戒心というのは、とても根強いものを感じます。さきほどお話した在り方懇(「通信・放送の在り方に関する懇談会」)は、このように警戒されているからこそ注目された面もあります。一方、在り方懇によって、このようなタブーがなくなり議論できるようになったことは、少しでも前に進んだことだと思います。

 今後、この放送・通信の新しい世界が本当にブレイク・スルーするのは、とても魅力的で、楽しくて、みんなが支持するようなサービスが出てきた時だと思います。そのように出てくるサービスは、誰も止められないのです。

 社会的に支持されるサービスや魅力的な技術の裏づけがあれば、制度や政策の改革は、必然的にせざるを得ない状況ができ上がっていくのだと思います。

 亀山 今、村井先生がおっしゃったように、改革があった時点からそれが熟して実際の行動が起こる(リアリティをもつ)までというのは、確かにタイムラグがあります。しかし、世の中が急速に発展しているため、ちょうど20年前の開放がリアリティをもつためのタイムラグが7年だとすれば、現在は多分その半分、あるいは4分の1くらいのタイムラグでリアリティをもつようになると思います。

 ひょっとすると、放送・通信の融合という話が、政策レベルできちんと話されるということになると、間もなく(1年とか2年くらいに)バーンと爆発するようなことが起こるのではないでしょうか。』(以上、本記事から抜粋)
と。


 『ビッグ対談:放送・通信融合を語る!(4)<最終回>』(http://wbb.forum.impressrd.jp/feature/20060807/190)では、「デジタル時代の知的財産権とは何か?」がテーマ。

 
 その中で、
『【1】根本的に「知財とは何か?」を見直すとき!

 村井 放送と通信の調和に関するもうひとつのキーワードとして、デジタル時代の知的財産権知財)の問題が注目されています。この問題は、ビジネスに大きな影響を与えますので、デジタル時代を迎えて、根本的に「知財とは何か?」を見直す必要があります。

 先にお話ししたように、デジタル化(あるいはインターネット)は、現在起こっていることを原点に戻って、根本的に考え直させるところがあります。「自分とは何だろか?」、大学の授業を全部インターネットでやり始めると「大学とは何だろう?」「どうして授業料をとるのだろう?」と、そういう原点的なところまで議論がきてしまいます。

 そこがデジタル化のいいところなのです。人間が惰性でやっているようなことを、ちょっと見直そうというようなところがあるのです。このため、デジタル化時代の「知財とは何だろう?」ということも当然問われてきます。

 情報がデジタル化されると、まったく同じ複製を作り出せることになる。それを利用した技術が、先に話したインターネットの動作原理であるパケット交換の信頼性技術そのものなのです。

 つまり、どこかでデータを紛失してそれが困るならもう一度送ればいいのです。これはアナログとまったく違うところです。アナログ時代のように、「かけがえのないものがなくなってしまった」というのではなく、「なくなったら捨ててもいい。もう1回送ればいいのだから」というわけです。

 —デジタル時代の価値観が必要なんですね。

 村井 このような背景からデジタル情報というのは、アナログ情報に対して、かなり価値観が違ってくる可能性が出てきます。それを「知財」(知的財産権)として、どう扱うのか。現在、知財の保護を強く主張する人たちに対して、「もう一度考え直そう!」ということになる可能性があるのです。

 すでに、放送というビジネスの中に、アナログ時代につくられた知財に対する考え方やルール、さらに理念もできています。したがって、現在のように、放送がデジタル化されるとき、知財などに対する議論は避けて通れません。今、放送と通信(インターネット)の調和の中でぶつかっているほとんどの項目は、知財と関連している項目なのです。この議論が今後どう発展するか、まさに人類にとって大きな課題に直面しているのです。
亀山先生は知財について、いかがお考えですか?

 亀山 知財知的財産権)の話も、実は昔からあった話ではなくて、約300年前の1709年に、イギリスではじめてまとまった著作権法が作られたのが最初といわれています。300年くらいの歴史です。

 やっぱり基本的には後から出てきて、作られた制度なのです。ポイントは、今、村井先生がおっしゃったように、デジタル通信では、複製(コピー)は至るところで起こっていまして、複製のない通信はありえないのです。

 ところで、映像の複製(コピー)問題の事件としては、近年(2004年)に千葉県松戸で起こった「録画ネット事件」があります。この事件は、ある会社と放送局の間で起きた事件ですが、その会社は、海外にいるお客さんにテレビ・チューナー付きのPC(サーバー)を買ってもらい、そのPCを置くための場所貸しをしている、いわゆるデータ・センターだという位置付けです。

 データ・センターは、お客さん(ユーザー)が買ったPCを置いて、電源を供給しています。お客さんは海外にいて、インターネットを通じてPCに録画指令を出し、日本のテレビ放送をそのPCで録画し、それを海外からインターネット経由で視聴するという話なのです。

 しかし、これは違法だとしてそのデータ・センター会社は放送局から訴えられました。要するに、ここのデータ・センターが主体となって番組を複製し、録画したものを海外に送るのを幇助(ほうじょ)しているからということになった。録画指示を出しているのはお客さんだとこの会社は主張しましたが、利用者による私的複製とは認められないという判決がくだされました。しかし、結局は和解されたのだそうです。

 このようなサービスは、技術的には今や、誰でもあたりまえのようにできるサービスです。したがって、このようなことも含めて、ある基準をつくっていくのは、本当に早急の課題なのです。判例という既成事実が作られてしまう前に、きちんとした法体系の整備が必要と思います。』 (以上、本記事より抜粋)
と。


 結局、知財のネタに戻りました。


 『デジタル化(あるいはインターネット)は、現在起こっていることを原点に戻って根本的に考え直させるところがある。』、『「知財とは何か?」も見直す必要がある。』、というコメントが知財関係者の一人として、とても印象的でした。


 また、上記対談の中で亀山教授が、「録画ネット事件」についてコメントされていますが、この間、東京地裁から出された「まねきTV(ロケフリ)事件」とは結果が逆の判決であり、一概に両判決の結果だけを比較するのも強引ですが、この2つの判決結果を見ても、デジタル技術に対する知財の取扱いが変わってきているな、という感を受けています。