●平成18(ワ)11429 特許権侵害差止等請求事件(2)

Nbenrishi2009-06-18

 本日は、一昨日取り上げた、『平成18(ワ)11429 特許権侵害差止等請求事件 特許権 民事訴訟「名称熱伝導性シリコーンゴム組成物及びこの熱伝導性シリコーンゴム組成物によりなる放熱シート」平成21年04月07日 大阪地方裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090616132206.pdf)について取り上げます。


 本件では、 争点4(相殺の抗弁の成否)についての判断も参考になるかと思います。


 つまり、大阪地裁(第21民事部 裁判長裁判官 田中俊次、裁判官 西理香、裁判官 北岡裕章)は、


5 争点4(相殺の抗弁の成否)について

 被告は,本件実施契約期間中に支払った約定実施料について,第1次的主張ないし第4次的主張までの4つの自働債権を主張するので,以下検討する。


(1) 被告の第1次的主張について

 被告は,本件特許に係る公開公報の特許請求の範囲に記載された発明に特許権が発生することを前提として,本件実施契約を締結したにもかかわらず,現実には本件補正によって減縮された範囲でしか特許権が発生しなかったことを理由に,本件実施契約における被告の意思表示には動機の錯誤があったと主張する。


 しかし,本件実施契約締結時,すなわち被告の意思表示の時点(平成12年10月1日)では,未だ本件補正書は提出されておらず(本件補正書の提出日は平成14年2月4日である,原告が補正を検討していた。)ことを窺わせる事情も認められない(本件補正の契機となった本件拒絶理由通知が発せられたのは平成13年12月4日である。)から,仮に被告が上記のような意図をもって本件実施契約を締結したとしても,同時点においては,被告の動機に錯誤があったとは認められない(なお,本件実施契約締結に際して,本件特許に係る公開公報の特許請求の範囲に記載された発明に特許権が発生しないことを解除条件としたような事情も認められない。)。


 そもそも,特許出願は拒絶されることもあり,また,補正又は訂正されることもあり,特許請求の範囲に変動を生じ得る点は本件実施契約上織り込み済みというべきである。



 よって,民法95条に基づく本件実施契約の無効を前提とする被告の第1次的主張は失当であり,同主張に基づく不当利得返還請求権は認められない。


(2) 被告の第2次的主張及び第3次的主張について

ア 本件実施契約書(甲4)には,以下の定めがあることが認められる。

(ア) 「許諾特許」とは,原告所有の下記の特許出願及びこれに係る特許権並びにその分割又は変更に係る新たな出願に基づく権利をいう。(第2条(1))
 特開平11−209618号(発明の名称:熱伝導性シリコーンゴム組成物及び該組成物よりなる放熱シート)
(イ) 「許諾製品」とは,許諾特許の技術的範囲に属する熱伝導性シリコーンゴム組成物よりなる放熱シートをいう。(第2条(2))
(ウ) 本件実施契約に基づいて被告から原告になされたあらゆる支払は,許諾特許の無効,本件実施契約の解約その他いかなる理由によっても被告に返還されないものとする( 第4 条2 : 以下「不返還条項。」という。)

イ 上記本件実施契約の第2条(1)には,契約締結時点における「許諾特許」として公開公報(特開平11−209618号)が掲げられており,これと並んで「これに係る特許権」と記載されていることからすれば,特許権発生前の「許諾特許」とは,同公開公報の特許請求の範囲に記載された発明を指すものであり,特許権発生後の「許諾特許」とは,発生した特許権に係る特許請求の範囲による特許を指すものと解するのが相当である。


 被告は,特許請求の範囲が減縮された場合には,信義則上,契約締結の日に遡って許諾の範囲も減縮されると主張する(第2次的主張)。


 しかし,本件実施契約締結時点では本件特許は未だ出願段階であったから,補正により特許請求の範囲が減縮されることがあり得ることは当然に想定できたはずであるのに,本件実施契約書上,特許請求の範囲が補正により減縮された場合について何らの定めもされていない。


 また,未だ出願段階であるが故に特許出願が拒絶されたり,補正により特許請求の範囲が減縮されることもあり得ることを前提として,実施料率が特許権発生後に比して低率(1%)に抑えられていると解され,これとの均衡においても,特許出願が拒絶された場合や特許請求の範囲が減縮された場合のリスクは被許諾者において負担すべきである。


 したがって,補正により特許請求の範囲が減縮されたからといって,信義則上,本件実施契約締結の日に遡って減縮の効果が生じると解することはできない。


ウ 被告は,特許請求の範囲を減縮する本件補正を出願の一部取下げと同視し,少なくとも本件補正書の提出日の翌日である平成14年2月5日以降は,被告の本件実施契約に基づく実施料支払義務は,補正に対応して減縮するとも主張する(第3次的主張)。


 しかしながら,補正によって確定的に減縮の効果が生じるわけではなく,その後の補正によっても変動し得るものであるから,補正を出願の一部取下げと同視することはできず,本件補正書の提出日に遡って減縮の効果が生じると解することはできない。


 なお,被告は,特許法29条1項及び2項の判断は「特許出願前」で行っており,補正の効果も出願時に遡ることから,本件実施契約においても減縮の効果が遡ると主張する(第17準備書面2頁。)

  しかし,本件実施契約において減縮の効果が遡るか否かは契約解釈の問題であって,特許法の解釈とは異なり得るし,実質的に見ても,特許法29条1項及び2項における新規性,進歩性の判断基準時たる「出願時」の解釈と,本件実施契約における減縮の遡及効の問題とは全くの別問題であるから,同列に論じることはできない。また,被告は,最高裁判所平成4年(オ)第364号同5年10月19日第三小法廷判決を引用するが,同判例は減縮の遡及効について判断したものではないから,本件に適切でない。


エ 上記に対し,本件実施契約上,特許権発生後における「許諾特許」とは,同特許権に係る特許請求の範囲と解すべきであるから,本件補正による特許請求の範囲の減縮により,GR−b等は「許諾特許」の技術的範囲に属さず,「許諾製品」に当たらないことになる。よって,GR−b等については,特許権発生後,すなわち特許権の設定登録日以後,実施料を支払う義務はなかったというべきである。


 しかしながら,本件実施契約では,原告がいったん受領した実施料は,許諾特許の無効,本件実施契約の解約その他いかなる理由によっても被告に返還されないと定められており(不返還条項),その文言上,契約締結後に生じたあらゆる事由がこれに含まれることになるから,本件における特許請求の範囲の減縮も,文言上「その他いかなる理由」に含まれることになる。


 この点,被告は本件において不返還条項は適用すべきではない旨主張する。


 しかし,本件では特許請求の範囲が減縮された上で特許権が発生したのであるから,減縮後の技術的範囲に属する場合には実施料の受領が認められることになるし,本件実施契約上,被告が原告に対して実施品の態様を開示する義務は定められておらず,基本的に被告の責任において当該実施品が「許諾製品」に該当するかを判断することが前提とされているのであるから,特許権が発生している以上,被告の支払う実施料を受領することは,むしろ通常のことといえる。


 そうすると,本件において原告が特許権発生後も被告の支払う実施料を受領したことが信義則に照らして容認できないとはいえず,不返還条項の適用を否定すべき事情は見当たらない。


オ 以上より,本件実施契約締結後,特許権発生日までの間については,GR−b等も「許諾特許」の技術的範囲に含まれ「許諾製品」に該, 当するから,その実施料の受領が法律上の原因を欠くとはいえない。


 また,特許権発生日後については,GR−b等は「許諾特許」の技術的範囲に含まれず,「許諾製品」には該当しないが,GR−b等について原告が受領した実施料は不返還条項に基づき返還する必要はないから,その実施料の受領に法律上の原因がないとはいえない。


 よって,被告の第2次的主張及び第3次的主張に係る不当利得返還請求権は,いずれも認められない。


(3) 被告の第4次的主張について

 原告は,信義則上,本件補正を通知する義務を負っていたと主張するところ,上記(2)イ・ウのとおり,出願段階では補正が認められて特許されるものかどうかが未だ確定しておらず,原告が本件補正書を提出したというだけでは直ちに本件実施契約上の権利義務に影響を及ぼすものではないと解すべきであるから,そもそも補正の事実を通知する実益に乏しく,信義則上,かかる義務を認めることはできない。


 他方で,補正によって特許請求の範囲が減縮された上で特許査定され,特許権が発生した場合には,本件実施契約上の権利義務にも影響を及ぼすことになるから,減縮の事実を被許諾者に通知する実益があることは否定できない。また,本件実施契約では,まず,被告において自己の販売する製品が「許諾製品」に該当するかどうかを判断すべきであるから,その判断に当たって特許請求の範囲が減縮されたことは重要な情報といえる。したがって,少なくとも,被告から本件出願の経過等について問合せがされた場合には,原告はこれに誠実に応答すべき信義則上の義務があったというべきである。


 しかし,さらに進んで,特許請求の範囲が減縮されたことについて,被告からの問合せの有無にかかわらず原告から積極的にこれを通知すべき義務があったか否かについては,これを容易に肯定することはできない。なぜなら,本件実施契約書においてかかる通知義務の存在を窺わせる条項は全く見当たらず,同契約書外においても通知義務を認める旨の合意の存在を推認させる具体的事情は何ら認められないのであるから,本件において通知義務を認めるということは,実施許諾契約一般において,これについての明示又は黙示の合意の有無にかかわらず,許諾者たる特許権者に信義則上の通知義務を負わせることになりかねないからである。


 もともと,出願段階で許諾を受けようとする者にとって,契約締結後の補正により特許成立段階で特許請求の範囲が減縮されることは,当然に想定できる事柄であり,減縮があった場合に許諾者から通知して欲しいというのであれば,契約交渉段階でその旨の同意を取り付けて契約書に明記しておくべきといえる(かかる交渉を経ずに許諾者一般にかかる義務を負わせることは,むしろ許諾者に予期しない不利益を被らせるおそれがある。)。


 また,被許諾者は,許諾者に特許請求の範囲を問い合わせたり(少なくとも許諾者には問合せに応答すべき義務がある。),特許公報等を参照するなどして,特許請求の範囲がどのようになったか調査することができるのである。


 上記のような事情を併せ考慮すれば,許諾者たる特許権者一般に,信義則上,特許請求の範囲が減縮された場合の通知義務を認めることはできないというべきであり,本件においても,原告に,信義則上かかる通知義務があったと認めるに足りる事情はない(なお,上記は特許請求の範囲が減縮された場合を前提としており,拒絶査定不服審判における不成立審決が確定した場合や,特許無効審判における無効審決が確定したような場合における通知義務については別途考慮を要するところである。)。


 したがって,原告には通知義務違反の債務不履行が認められず,これに基づく損害賠償請求権も認められない。


(4) 小括

 以上より,被告が自働債権として主張する債権はいずれも認めることができないから,被告の相殺の抗弁は理由がない。』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照して下さい。