●平成8(ワ)14828 特許権「徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤」

 本日は、『平成8(ワ)14828 特許権 民事訴訟「徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤」平成11年01月28日 東京地方裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/19E9828A47098A7949256A7700082E3F.pdf)について取上げます。


 本件は、特許権に基づく差止め等を求め、その請求が棄却された事案です。本件も、先日受講した弁理士会会員研修テキストの「均等論」の第1要件の本質的事項のところで紹介されていた事件です。


 本件では、出願経過、すなわち出願手続中の出願人の行為により、本件特許発明を特徴づける発明の本質的部分を判断し、均等侵害を否定した点で、参考になる事案かと思います。


 つまり、東京地裁(民事第四六部 裁判長裁判官 三村量一、裁判官 長谷川浩二、裁判官 中吉徹郎)は、


『1 特許権侵害訴訟において、特許発明に係る願書に添付した明細書の特許請求の範囲に記載された構成中に相手方が製造等をする製品(以下「対象製品」という。)と異なる部分が存する場合であっても、

(1)右部分が特許発明の本質的部分ではなく、
(2)右部分を対象製品におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、
(3)右のように置き換えることに、当業者が、対象製品の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、
(4)対象製品が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、
(5)対象製品が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である

 (最高裁平成六年(オ)第一〇八三号同一〇年二月二四日第三小法廷判決・民集五二巻一号一一三頁参照)。


2 置換可能性について

 ジクロフェナクナトリウムは、経口投与された場合に吸収排泄が速く、有効血中濃度を長時間持続させることが困難であったところ、本件特許発明は、ジクロフェナクナトリウムにメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又はHPという三種の腸溶性物質による皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムと、該皮膜を施さない速効性ジクロフェナクナトリウムとを、特定の重量比で組み合せることにより、長時間効力の持続するジクロフェナクナトリウム製剤を得るものである。甲第一二号証、乙第一五号証及び弁論の全趣旨によれば、本件特許発明における腸溶性物質HPに代えてASを用いても、一定の徐放性を有する腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムを得ることができると認められるから、これを速効性ジクロフェナクナトリウムと組み合せることにより、有効血中濃度を一定時間維持するジクロフェナクナトリウム製剤を得ることが可能なものと認められ、右の限度では同一の作用効果を奏するということが可能であるから、右の限度においてHPとASとの間での置換可能性を肯定することができる。


3 本質的部分について

(一) 前記のとおり、均等が成立するためには、特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品と異なる部分が特許発明の本質的部分ではないことを要するが、右にいう特許発明の本質的部分とは、特許請求の範囲に記載された特許発明の構成のうちで、当該特許発明特有の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分、言い換えれば、右部分が他の構成に置き換えられるならば、全体として当該特許発明の技術的思想とは別個のものと評価されるような部分をいうものと解するのが相当である。


 すなわち、特許法が保護しようとする発明の実質的価値は、従来技術では達成し得なかった技術的課題の解決を実現するための、従来技術に見られない特有の技術的思想に基づく解決手段を、具体的な構成をもって社会に開示した点にあるから、明細書の特許請求の範囲に記載された構成のうち、当該特許発明特有の解決手段を基礎付ける技術的思想の中核をなす特徴的部分が特許発明における本質的部分であると理解すべきであり、対象製品がそのような本質的部分において特許発明の構成と異なれば、もはや特許発明の実質的価値は及ばず、特許発明の構成と均等ということはできないと解するのが相当である。


 そして、発明が各構成要件の有機的な結合により特定の作用効果を奏するものであることに照らせば、対象製品との相違が特許発明における本質的部分に係るものであるかどうかを判断するに当たっては、単に特許請求の範囲に記載された構成の一部を形式的に取り出すのではなく、特許発明を先行技術と対比して課題の解決手段における特徴的原理を確定した上で、対象製品の備える解決手段が特許発明における解決手段の原理と実質的に同一の原理に属するものか、それともこれとは異なる原理に属するものかという点から、判断すべきものというべきである。


(二) これを本件についてみるに、甲第一号証、第二号証、第六号証ないし第一一号証、第一四号証、乙第一号証ないし第九号証、第一三号証及び第一四号証の一並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。


(1) 原告は、昭和五九年八月一〇日、本件特許発明について特許出願をしたが、右出願当時、?腸溶性物質として、CAP、メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー、HP等が存在すること、?速効性の薬剤と遅効性の薬剤を混合して徐放性製剤を得ること、?ジクロフェナクナトリウムに非水溶性皮膜を施して遅効性ジクロフェナクナトリウムを得ることは、いずれも公知であった。


(2) 当初明細書の特許請求の範囲の記載は、次のとおりであった。
「1 速効性ジクロフエナクナトリウム及び遅効性ジクロフエナクナトリウムよりなることを特徴とする徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。
2 遅効性ジクロフエナクナトリウムが、ジクロフエナクナトリウムに腸溶性物質又は非水溶性物質の皮膜を施したものである特許請求の範囲第1項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。
3 遅効性ジクロフエナクナトリウムが、ジクロフエナクナトリウムを腸溶性物質又は非水溶性物質と練合したものである特許請求の範囲第1項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。
4 腸溶性物質が、溶解pHが6〜7の範囲にあるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、溶解pHが5・5であるメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又は溶解pHが5〜5・5の範囲にあるヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレートである特許請求の範囲第2項又は第3項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。
5 非水溶性物質がエチルセルロースである特許請求の範囲第2項又は第3項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。
6 速効性ジクロフエナクナトリウムと遅効性ジクロフエナクナトリウムの配合量が6:4〜2:8である特許請求の範囲第1〜5項の何れか1項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。」


(3) 特許庁は、右特許出願について、その出願前国内において頒布された左記?ないし?の公開特許公報を引用例として掲げ、引用例?及び?にはジクロフェナック等の遅効性製剤が、引用例?ないし?には持続性製剤として速効性製剤と遅効性製剤とを配合する方法が、それぞれ開示されており、これらに記載された発明に基づいて、引用例?及び?に開示されている遅効性製剤に従来の速効性製剤を配合して持続性製剤にしてみる程度のことは、その出願前にその発明に属する技術分野における通常の知識を有する者が容易に想到し得たものと認められるから、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができないとして、原告に対し、昭和六三年一二月二一日付けで拒絶理由を通知した。


(4) 原告は、右拒絶理由通知を受けて、特許庁に対し、平成元年四月二〇日付け手続補正書により、明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を、本判決末尾添付の本件特許権の出願公告公報(甲第二号証。以下「本件公報」という。)記載のとおりに補正するとともに、同日付け意見書を提出した。


 右補正後における本件明細書の発明の詳細な説明には、「以上のような腸溶性物質については、本発明者らが種々の物質についても検討を重ね、その結果メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー(商品名オイドラギットL・S)、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー(商品名オイドラギットL30D)、ヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレート(商品名HP)がすぐれた徐放性を示すことを見出したものである。」(本件公報四欄一六ないし二三行)と記載されている。


 また、右意見書には、「斯かる実状において、本発明者は、投与直後の血中濃度の急激な立上りを抑え、しかも一定の血中濃度を長時間持続させることのできる製剤を開発すべく種々研究を行った。その結果、従来から放出遅延効果を有するとされている多くの皮膜物質の中で、上記の特定の腸溶性皮膜がすぐれた持続効果を示し、この腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトウリムと速効性ジクロフェナクナトリウムを特定の割合で組合せると、本願の第1〜3図に示すように、約10時間にわたって有効量の血中濃度を与えることを見出し、本願発明を完成したものであります。」、「また、同じ腸溶性皮膜で被覆されていても、薬効成分の種類によって溶出パターンが異なることは周知であり、更にまた、溶出されてもこれが体内に吸収されるのに要する時間、これが与える血中濃度及びその持続時間は薬効成分によって全く相違するものであります。従って、薬効成分の血中濃度を長時間一定に保持して持続化を図るためには、各薬効成分の種類によって、条件にあった皮膜を選定して遅効性製剤を調製し、かつこれを速効性製剤の特定量と組合せるという多大の研究を必要とするものであり、決して貴官ご指摘のような簡単なものではありません。」と記載されている。


(5) 本件特許発明は、平成元年一二月四日に特許出願公告され、平成二年四月二七日に特許査定されて、同年七月二五日に登録された。


(三) 本件明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載に右(二)(1)認定の本件特許発明出願当時の公知技術を総合すれば、本件特許発明は、(1)ジクロフェナクナトリウムの皮膜物質として、腸溶性物質であるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー及びHPという三種の物質を選定した点、(2)ジクロフェナクナトリウムに腸溶性皮膜を施した徐放部と、該皮膜を施さない速放部を特定重量比率で組み合わせたことにより、ジクロフェナクナトリウムという特定の有効成分に対してすぐれた徐放性を有する製剤を生み出した点において、従来技術にない解決手段を明らかにしたものと認められ、右の点が本件特許発明特有の解決手段を基礎付ける技術的思想の中核をなす特徴的部分、すなわち本質的部分というべきである。そして、この点は、前記(二)認定の本件特許発明の審査経過、なかんずく前掲平成元年四月二〇日付け意見書の記載等によっても、裏付けられるものである。


 そうすると、本件特許発明における腸溶性物質HPに代えて腸溶性皮膜にASを用いることは、前記のとおり、(1)従来から放出遅延効果を有するものとして知られていた多数の皮膜物質のなかから、ジクロフェナクナトリウムという特定の有効成分に対してすぐれた徐放性を有する物質として特許請求の範囲記載の三物質を見いだしたという点が本件特許発明特有の解決原理であり、(2)他方、ASはHPとは化学構造が異なる別物質であることに照らせば、本件特許発明と同一の解決原理に属するものということはできない。


 したがって、本件特許発明におけるHPに代えてASを用いることは、本件特許発明の本質的部分について相違するというべきであるから、均等の成立を認めることはできない。


 この点について、原告は、本件特許発明のセルロース系の腸溶性皮膜を用いる発明においては、ヒドロキシプロピル基を有しているために構造的に安定している皮膜を用いたという点に技術的特徴があると主張する。


 しかし、本件特許発明の特許請求の範囲に記載されている三種の腸溶性物質のうち、ヒドロキシプロピル基を有しているセルロース系の腸溶性物質はHPのみであり、他の二種の物質、すなわちメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー及びメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマーは、いずれもヒドロキシプロピル基を有していない。原告の主張は、特定の三種の物質を腸溶性皮膜として用いることが択一的に表現されている本件特許発明において、これらのうち一種についてだけの特徴を本件特許発明の技術的特徴であるとするものであって、失当といわざるを得ない。


 また、本件明細書の記載を見ても、特許請求の範囲記載の三種の腸溶性皮膜をジクロフェナクナトリウムの皮膜として用いた場合には、対照例のCAPやセラックを腸溶性皮膜として用いた場合と比較して、良好な徐放効果を示すことは開示されているものの、その作用機序については何ら示されておらず、まして、ヒドロキシプロピル基の存在が徐放効果に何らかの影響を与えることについては何ら示唆されていないのであって、この点に照らしても、原告の右主張を採用することはできない。


4 均等の成立を妨げる事情について

 また、前記3(二)認定の本件特許発明の出願経過に照らせば、原告は、特許出願手続において、本件特許発明の技術的範囲を、遅効性ジクロフェナクナトリウムの腸溶性皮膜に特許請求の範囲記載の三物質を用いるものに限定した(すなわち、右三物質以外の腸溶性皮膜を用いるものが本件特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したか、少なくともそのように解されるような外形的行動をとった。)ものと認められ、原告には、遅効性ジクロフェナクナトリウムを得るための腸溶性皮膜としてHPに代えて前記の三物質以外のASを用いることについて、均等の成立を妨げる特段の事情があるというべきである。したがって、この点からも、原告の均等の主張を採用することはできない。


四 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、被告医薬品が本件特許発明の技術的範囲に属するということはできないから、原告の請求は、いずれも理由がない。


 よって、主文のとおり判決する。
(口頭弁論の終結の日 平成一〇年一〇月六日)』


 と判示されました。


 詳細は、本判決文を参照して下さい。