●平成22(行ケ)10097 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟(1)

 本日は、『平成22(行ケ)10097 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟「飛灰中の重金属の固定化方法及び重金属固定化処理剤」平成23年12月22日 知的財産高等裁判所』(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120105161215.pdf)について取り上げます。


 本件は、特許無効審判の棄却審決の取消を求めた審決取消請求事件で、その請求が棄却された事案です。


 本件では、まず、取消事由1(実施可能要件に係る判断の誤り)についての判断が参考になるかと思います。


 つまり、知財高裁(第4部 裁判長裁判官 滝澤孝臣、裁判官 高部眞規子、裁判官 井上泰人)は、


『1 取消事由1(実施可能要件に係る判断の誤り)について

(1) 実施可能要件について

 本件特許は,平成7年12月1日出願に係るものであるから,平成14年法律第24号による改正前の特許法(以下「法」という。)36条4項が適用されるところ,同項には,「発明の詳細な説明は,…その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない。」と規定している。


 特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を一般に開示する内容を記載しなければならない。法36条4項が上記のとおり規定する趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。


 そして,物の発明における発明の実施とは,その物を生産,使用等をすることをいうから(特許法2条3項1号),物の発明については,明細書にその物を製造する方法についての具体的な記載が必要があるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。


 これを本件発明についてみると,本件発明は,いずれも物の発明であるが,その特許請求の範囲(前記第2の2)に記載のとおり,本件各化合物(ピペラジン−N−カルボジチオ酸(本件化合物1)若しくはピペラジン−N,N′−ビスカルボジチオ酸(本件化合物2)のいずれか一方若しくはこれらの混合物又はこれらの塩)が飛灰中の重金属を固定化できるということをその技術思想としている。


 したがって,本件発明が実施可能であるというためには,本件明細書の発明の詳細な説明に本件発明を構成する本件各化合物を製造する方法についての具体的な記載があるか,あるいはそのような記載がなくても,本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき当業者が本件各化合物を製造することができる必要があるというべきである。


(2) 本件明細書の記載について

 以上の観点から本件明細書の発明の詳細な説明をみると,そこには,本件発明についておおむね次の記載がある。


 ・・・省略・・・


(3) 本件発明の実施可能性について

 以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には本件各化合物の製造方法についての一般的な記載はなく,実施例中に,合成例1(化合物No.1)及び2(化合物No.2)として,本件化合物2の塩の製造例が記載されているにとどまる。


 他方,引用例2(昭和59年12月20日刊行)には,ピペラジンビスジチオカルバミン酸ナトリウム(本件化合物2)を常法を参考にして比較的簡単に合成した旨の記載があるほか,甲95(昭和40年(1965年)刊行)にも,ピペラジンビス(N,N′カルボジチオアート)ナトリウム−C6H8N2S4Na2・6H2O(本件化合物2)をピペラジンと二硫化炭素から合成した旨の記載がある。


 このように,本件化合物2の製造方法について本件出願日を大きく遡るこれら複数の文献に記載されており,そうである以上本件化合物2を除く本件各化合物の製造方法も明らかであるから,本件各化合物は,本件出願日当時において公知の化合物であり,その製造方法も,当業者に周知の技術であったものと認められる。


 したがって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載の有無にかかわらず,当業者は,本件出願日当時において,本件各化合物を製造することができたものと認められる。


 よって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が本件発明の実施をすることができる程度に十分に記載されているものということができるので,法36条4項に違反せず,本件審決の判断に誤りはない。


(4) 原告の主張について

 以上に対して,原告は,本件発明が,硫化水素を発生させないという作用効果により進歩性が認められているのに,本件各化合物を製造するに当たって硫化水素の発生源であるチオ炭酸塩の副生を防止する方法が本件出願日当時に存在せず,引用例2等に記載のチオ炭酸塩を除く精製工程も本件明細書には記載がなく,本件明細書の記載により製造した本件各化合物(未精製品)によって本件発明を実施すると硫化水素が発生し,現に,原告らの実験結果もこれを裏付けているから,本件明細書が実施可能要件を満たさない旨を主張する。


 しかしながら,本件発明の特許請求の範囲の記載は,本件各化合物が飛灰中の重金属の固定化剤として使用できる旨を物の発明として特定しており,本件発明は,本件各化合物の製造に当たって硫化水素を発生させる副生成物の生成を抑制することをその技術的範囲とするものではない。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に副生成物の生成が抑制された本件各化合物の製造方法が記載されていないからといって,特許請求の範囲に記載された本件発明が実施できなくなるというものではなく,法36条4項に違反するということはできない。


 なお,本件明細書の発明の詳細な説明によれば,前記(2)エ(ウ)に認定のとおり,本件発明は,飛灰中の重金属を固定化する際にpH調整剤と混練し又は加熱を行うという条件下でも分解せずに安定である,すなわち有害な硫化水素を発生させないことも,その技術的課題としているといえる(安定性試験)。しかし,上記技術的課題を解決するという作用効果は,他の先行発明との関係で本件発明の容易想到性を検討するに当たり考慮され得る要素であるにとどまるというべきである。


 また,引用例2には,そこで得られた化合物の詳細な物性や分析結果についての記載があるものの,そこにはチオ炭酸塩の含有を窺わせる記載がないから,引用例2に記載の方法で得られた化合物にはチオ炭酸塩が含まれていないものと認められれる。したがって,引用例2の記載によれば,チオ炭酸塩を含有しない本件各化合物の製造方法は,本件出願日当時,当業者に周知の技術であったものと認められ,被告による本件明細書の記載の再現実験の結果(甲48,乙6,12)も,これを裏付けるものである。他方,原告らによる実験(甲4,8,15,71)により硫化水素が発生したとしても,このことは,本件各化合物の製造方法によってはチオ炭酸塩を副生するために硫化水素が発生することがあるということを立証するにとどまり,チオ炭酸塩を含有しない本件各化合物の製造方法が周知の技術であったとの上記認定を左右するものではない。

 よって,原告の上記主張は,採用できない。』

 と判示されました。